ビジネスとアートの共創
第6回「コミュニケーション×創造力」(前半)
2024.6.28
奥田:本日は、日本における環境ファイナンスの第一人者である吉高まりさんにお越しいただきました。吉高さんは、私に田中彩子さんをご紹介いただいた方でもあります。本日は忌憚のないご意見をいただきながらディスカッションできればと思います。よろしくお願いします。
自分の課題意識を社会に還元するためには、まずは自立すべきと考えました(吉高)
田中:吉高さんのキャリアは金融会社からスタートされたのでしょうか。また、環境ファイナンスの第一人者ということは、前例などない状態から道を切り開かれたのだと思いますが、どうやって最初の道を歩もうと思われたのか、こうした点に興味があります。
吉高:そうですね。私は大学の法学部で国際法を学んでいて、社会課題については比較的関心が高かったと思います。ただ、当時は大学を出ても男女平等の観点が今ほど進んでおらず、男性と同じように雇用はされないだろうと感じていました。そうした中で自分の課題意識を社会に還元するためには、まずは自立すべきと考えました。最初にITベンチャーに就職しましたが、数年で経営が危うくなり転職を余儀なくされ外資系金融機関の日本事務所へ転職をしました。そこである程度経済的に自立してきて、やっと社会に役立つようなことができるのではと感じた時にニューヨークに転勤になりました。英語力向上のためにニューヨーク大学の英語講座に通っていたのですが、そのパンフレットに「ビジネス&エンバイロメント(環境)」という講座を見つけて、「こんなに素晴らしいことはないのでは!」と降りてきた感じです。
田中:会社を転職されてニューヨークに行かれましたが、海外志向はもともとあったのでしょうか。
吉高:親が公務員だったこともあって、海外は新婚旅行に行く程度にしか思っていない家庭に育っていたので、海外志向はあまりなかったと思います。最初に入ったITの会社で取得できるPCスキルを徹底的に磨きました。そして外資系金融機関に転職して仕事の幅を広げていた際にニューヨーク本社へ行くというチャンスを得ました。英語はできなかったんですけれどね。それは本当に感謝しています。ただ、私はとにかく自立することを目指していて、海外志向やキャリアウーマンになりたいという思いはありませんでした。
奥田:でも自立したいという気持ちはすごく強かったから、IT企業に入社して取れるノウハウはものにするという意識があったのですね。
吉高:そうですね。他にもフラワーアレンジメントをやってみたり、自分のやりたいことをずっと探し続けていました。女子校の同級生で、例えば英語を使って仕事をしたい、医学に進みたいなど小さいころから明確に自分の目標を持っている人に強い憧れがあったのは今でも覚えています。
最初の道を歩まれる方は、本当に茨の道になるのではと感じます(田中)
田中:そしてニューヨーク大学の英語講座に通われる中で、自分のやりたいことに出会えたのですね。
吉高:それはもう衝撃的でしたね。この講座の先生が、元シティバンクのクレジットカード分野のスペシャリストで、自ら環境金融のコンサルティング会社を立ち上げている方でした。その方がニューヨーク近辺で環境ビジネスをしている人を講師に迎えオムニバス形式の講座をされていました。1992年なので、日本ではこうしたビジネスの観点はなかったと思います。当時は民主党政権で後に「不都合な真実」を通じて地球温暖化に関する問題点を広く知らしめたアル・ゴア氏が副大統領で、明らかに今よりも世の中がグリーンや気候変動に関して関心を寄せている時代でしたね。1992年にブラジルで地球サミットが開催され、世界的に「持続可能な発展」や「環境と経済の両立」といったことが言われ始めている時期で、具体的にはIMF(国際通貨基金)総会でも環境問題が取り上げられたり、世界銀行では融資における環境配慮といった原則ができ始めたりした時期です。講座を通じて金融機関が環境問題に携わることを目の当たりにしてきました。
田中:ニューヨークでやりたいことに出会い、ニューヨークで環境ビジネスを始められたのですか。
吉高:ニューヨークには駐在で行っていたので、いろいろな情報を集めましたが、基本的には仕事を終えて東京に戻ってから始めることを前提に準備をしていました。
田中:環境ビジネスを始めるにあたって帰国した日本はどうでしたか。
吉高:「環境ビジネス」という言葉がありませんでした。ビジネスや金融の知識はありましたが、環境の知識はなかったので、まずはそこから始めようと思いました。実際に仕事として始めることができたのは今の三菱UFJフィナンシャル・グループに入ってからの、2000年以降ですね。
田中:なんでもそうですが、最初の道を歩まれる方は、本当に茨の道になるのではと感じます。
吉高:そうですね。専門的に学ぼうと大学院に入るのですが、2年勉強したからといって金融機関の方々が納得するほどの専門性が得られるわけでもなく、在学中は実際に仕事として成り立つのかと迷ったりもしていました。そうした中で、学習中に「排出権」という言葉を聞くことがよくありました。これだったら、私の強みである金融を使って社会課題を解決することが可能になるかもしれないぞと思いました。日本に帰国しても排出権はだれも知らないもので、リクルート活動でとある環境系の機関に行きましたが、そこで「金融機関は儲けが優先でしょ、本当にやる気あるの」と言われたのです。つまり、当時環境問題に一生懸命取り組んでいる人から見れば、金融機関はマネーゲームをやっている悪の組織だと(笑)。
目の前にあるモノに対してお金をつけることには抵抗がないけれども、空気のようなものにお金をつけることには、最初は抵抗があるのでしょうね。(奥田)
奥田:環境とビジネスが結びついたのは割と最近ですね。「環境問題」という言葉で思い浮かぶのは、CO2が増えて地球が温暖化する、あるいは気候変動が起こるということですが、私が子供の頃に言われていた環境問題は、自然環境の破壊や大気汚染などのいわゆる「公害問題」でした。日本ではそこから環境への関心が高まっているのですよね。そうすると、企業が工場を建設して、その工場から悪いものを排出したり、大気や水が汚染されるなど、企業活動によって自然が破壊される。その企業が活動するためにお金を貸しているのは金融機関なので、環境を守りたい人からすると企業も金融機関も「悪」だと。そういう考えが先ほどの話につながるのでしょうね。
吉高:そうですね。ニューヨークではそれほどでもないのですが、日本では金融機関は企業の方からそれほど良く見られない時もありました。バブルなど、マネーゲームでとてつもない儲けが出たりしたわけです。日々コストを考えて懸命にモノを作っている企業の方から見ると、金融機関は何も作らずに都合の良い時だけお金を出して、悪くなれば手を引く、といったイメージもあったりしましたね。
奥田:環境を守りたい人から見ると、こうした社会問題はみんなが一生懸命に真面目に取り組んで解決しなければいけないのを、マネーゲームに取り込んで解決へ導こうという点で、最初は抵抗があった人が多かったようですね。
吉高:本当にすごかったと思います。もう一つ、こうしたことに関心を持つきっかけがありました。「ケースD ―見えない洪水―」という、糸川英夫先生が書いた小説です。オイルメジャーと食糧メジャーが結託して、国連も動かして情報を操作し、食糧危機や人口問題を裏でコントロールすることにより世界を支配しようとするような内容です。食糧メジャーが農家から作物を安く買い、人口増加データを改ざんしてマーケットを変える、これに金融機関も加担するといったエピソードがありました。今のように実体経済と違う経済が動くことに関しての不安感が生まれてしまう、という点が今の奥田さんの発言に共通するところかと思います。
奥田:田中さんが仕事とされている音楽や芸術も同じような時期があったと思います。ベートーベンはパトロンに囲われて作曲して、それを宮廷内で演奏していました。元々は音楽も大衆が趣味でやるもので、たまたま趣味にしていたパトロンがお金を払い、結果として大衆はお金を払わずに音楽を聴いていた時代がありました。ところがブラームスの時代になると、楽譜でビジネスをしようという人が現れます。これは排出権にお金をつけてビジネスとすることに似た話ではないかと。誰も思いつかなかった「楽譜を出版して売る」人が出てきて、音楽が徐々にビジネスになる。当時、芸術をお金の対象にすることへの批判も相当あったのではと想像します。結果としては、誰でも楽譜を見て演奏できるようになり、指揮者も楽譜を自分なりに解釈をして同じ曲でも演奏の幅が広がり、聴く方も、曲によって演奏の違いがあって楽しく聴くことができます。作曲者も楽譜が売れれば売れるほどお金が入るモデルになり、より良い曲を書こうという関係が生まれます。目の前に明確にあるモノに対してお金をつけることには抵抗がないけれども、空気のようなものにお金をつけることには、最初は抵抗があるのでしょうね。
税金だけでは対処できない様々な事象に対して、みんなで市場を作って対処するというのはアリだと思っていました(吉高)
吉高:おっしゃるとおりですね、見えないものに対する価値は計らなくてはいけない、計っているからこそ金銭価値です。排出権は、CO2で価値を定量化、それに対していくらというマーケットで経済学上も成立する考え方ですが、やはり日々モノを作られている方や、環境を守りたい人からは邪道に見える、奥田さんがおっしゃったことはそういうことですよね。私は排出権の取り組みを途上国から開始しました。例えば途上国でバイオマス発電など発電事業を進める際はODAとして先進国の政府援助を入れるのですが、受けた側はその後の努力を継続しないことが多いのです。しかし排出権は、発電を継続してCO2を下げた価値がお金になるように、常に自分たちの努力が価値になるのです。音楽でもそうだと思いますが、価値を上げていくことに対してお金が回らないと誰も努力はしないですよね。
田中:金融に抵抗がある理由として、イメージもあるのかなと思います。環境はクリーンで良いもの、芸術も美しくてけがれのないもの、それと金融やお金は真逆にあるイメージです。企業は需要があるから工場を建設して、一般人は作られたモノを使うのでお互い様であるのに、不思議と使う側は自分自身が恩恵を受けていることに対して意識が向かないことがありますよね。
奥田:例えば日本では、比較的狭い国土の中で高度経済成長に伴い火力発電所が建設されました。そうするとSOXやNOXという硫黄酸化物や窒素酸化物が燃焼に伴いどうしても排出されます。これが実は大気汚染の原因であり、それが原因で「ぜんそく」等の公害病を患う人が出てきます。これは大変ということで、日本では1960年代半ばから80年代前半ぐらいまでかけて、その対策に注力をします。その結果、今ではほとんど排出されなくなりました。第一次の環境問題は、そこで一旦終わっています。ところが次に出てきたCO2排出に伴う地球温暖化問題は人の体では実感しにくく、CO2は目に見えないため誰が出しているかも不明瞭。そこで吉高さんが取り組まれているような、CO2排出を放置すると長い時間をかけて地球に悪影響を与えて、結果として生物も人間も持続可能ではなくなるから、CO2を出さない価値を見える化する必要があって、お金で価値をつけるという大きな流れがあるのだと思うのです。
吉高:今となってはそうですね。何をやるにしても資本主義なのでお金が必要ですが、日本ではお金に関して皆さん何となく話したがらないです。海外では価値として市場が作られます。例えばアメリカではCO2に先行して、SOXやNOXの排出権取引市場ができました。税金だけでは対処できない様々な事象に対して、みんなで市場を作って対処するというのはアリだなと思っていました。例えばSOXやNOXはすでに公害を引き起こしていますが、当時CO2はまだまだこれからで頑張れば予防できる段階にはいたはずでした。今でこそ、これほどの気候変動が起きてしまっていますが、唯一の予防ができる環境問題と言われていたぐらいでした。そこに早くお金を流さなくてはと考えていましたが、CO2は目に見えないし、感じられないから、人間はどうしても遠いリスクはディスカウントして考えてしまうので、難しいところです。
若い方には非常に関心を持っていただいていると思います。彼らが30年後の社会がどうなっているかというのを考えているように感じます(吉高)
田中:1992年から携わられて、今の状況をどうお考えですか?
吉高:金融機関がこれほど気候変動問題に言及するようになったのは、天地がひっくり返るぐらいの変化だと思っています。今、慶応義塾大学で授業を持っているのですが、生徒の5分の1程度はESGに関心があります。昔だったら金融機関と環境問題が結びつくことを一般の方はご存じなかったでしょうし、隔世の感があります。
奥田:この変化は良かったとお感じですか。
吉高:やっと一歩進み出したという点では良かったと思います。ただ、まだまだ一般的にはどうでしょうか。日本の金融機関全体でも一部のトップの方たちが考えているだけで、一般の方においてはまだまだ認識が薄いのかなとも思います。実際にデータが出ていて、日本人は欧米と比較して気候変動に対しては意識が低いと言われています。
田中:吉高さんは様々な企業で講演されていますが、若い人たちの方が反応が良いのでしょうか。
吉高:情報の集まる東京では中規模の企業でもかなり感度が高くなっていると感じます。地方は目の前の課題が多いのか、まずはそちらからという意識の違いもありそうです。ただ、若い方には非常に関心を持って聞いていただいていると思います。自分たちの将来なのですから、彼らがあと30年後の社会がどうなっているかというのを考えているように感じます。
田中:最初に具体的になったプロジェクトは何でしたか。
吉高:カンボジアのもみ殻発電です。日本政府が2億円で排出権の前払いをしてくれて、それで発電所が建設され、そのエネルギーで精米場が動いて、地域の方々の生活も便利になるというプロジェクトです。
田中:今もその精米場は稼働しているのですか。
吉高:コロナの影響でお米がヨーロッパに売れなくなったため、精米ビジネスが残念ながら止まってしまいました。様々な支援がなされましたが、いろいろなことが起こるじゃないですか。それに対してやっぱり何もできないということもありますね。田中さんのアルゼンチン国立青少年オーケストラのプロジェクトはどうですか。
田中:今、ゆっくりですけど、着実に動いています。現地には行けていませんが、週に一回はミーティングをしています。プロジェクト立ち上げ時はプライベートな企画でしたが、今はアルゼンチン政府が一緒になってくれるので、やりやすくはなりましたが、プロジェクトを安定させていくのはいかに難しいことかと感じています。
吉高:プロジェクトやプラントを作るというのは、いろんなことが起こりますよね。
(後半へ続く)
三菱UFJリサーチ&コンサルティング フェロー(サステナビリティ)
吉高まり
米国ミシガン大学環境・サステナビリティ大学院(現)科学修士。慶應義塾大学大学院政策・メディア科博士(学術)。東京大学教養学部客員教授。IT企業、米国投資銀行などでの勤務、世界銀行グループ国際金融公社(IFC)環境技術部などでの勤務を経て、2000年、三菱UFJモルガン・スタンレー証券において排出権取引ビジネスを行うため、クリーン・エネルギー・ファイナンス部を立ち上げ。20年5月より現職、三菱UFJ銀行、三菱UFJモルガン・スタンレー証券を兼務。国の各種審議会等委員にも従事。
ソプラノ歌手、Japan MEP / 代表理事
田中彩子
18歳で単身ウィーンに留学。 22歳のとき、スイスベルン州立歌劇場にて同劇場日本人初、且つ最年少でのソリストデビューを飾る。その後ウィーンをはじめロンドン、パリ、ブエノス・アイレス等世界で活躍の場を広げている。「コロラトゥーラソプラノとオーケストラの為の5つのサークルソング」でアルゼンチン最優秀初演賞を受賞。同アルバムは英国BBCクラシック専門音楽誌にて5つ星に評された。
UNESCOやオーストリア政府の後援によりウィーンで開催されている青少年演奏者支援を目的としたSCL国際青少年音楽祭や、アルゼンチン政府が支援し様々な人種や家庭環境で育った青少年に音楽を通して教育を施す目的で設立されたアルゼンチン国立青少年オーケストラとも共演するなど、社会貢献活動にも携わっている。
2019年 Newsweek誌 「世界が尊敬する日本人100」 に選出。2022年10月22日に行われた、日本のプロ野球チームの頂点を決める「SMBC日本シリーズ2022」の開幕セレモニーでは国歌斉唱を務めた。
京都府出身、ウィーン在住。