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ビジネスとアートの共創
第5回「情熱×創造力」(前半)

2024.1.19

奥田:今日はLife as Caravan代表の中山慎太郎さんをお招きしました。今回のゲストである中山慎太郎さんと田中彩子さんには2つの共通点があります。1つ目は、人と人とを繋いで新しい面白い価値を生み出すことに取り組まれていること。もうひとつはアルゼンチンです。共通点の具体的なエピソードには後ほど触れますが、こうした2つの共通点があることから、これは面白い話が聞けるのではと思い企画しました。

同じ時間を生きている違う国の人たちの「助けて」という声を聞いて、助けに行けるようなことをしたいと思いました(中山)

田中:よろしくお願いします。中山さんはたくさんの肩書を持たれて、様々なことをされていますが、活動のメインはLife as Caravanの代表なのでしょうか。

中山:個人事業主としてLife as Caravanという名前で活動しながらスタートアップに取り組んだり、他にも個人でいくつか仕事をしたり、色々やっている感じです。

田中:大学卒業後に国際協力銀行(中山さんの所属部門はのちに政府系機関の統廃合により国際協力機構=JICAへ統合)に入られていますが、最初に国際協力に取り組もうと考えられたきっかけは何でしょうか。

中山:私は大学在学時にラクロスをプレーしていたのですが、1年間休学してオーストラリアに留学しました。オーストラリアはラクロスが日本より強く、現地でラクロスができたら楽しいだろうなと思っていたのですが、留学地のブリスベンにはラクロスのチームがなく友達もできずに寂しい思いをしていました。そこで、自分でラクロスチームを作ろうと思い立ち、最終的には様々な国の人が20人ほど集まってくれて、大会に出場したりしました。集まった人たちのバックボーンは異なりますが、勝てば嬉しく、負けたら悔しいといった感情や時間を共有できて、昔からの友人のような感覚になれるのが本当に楽しい時間でした。私は東京に生まれ育ち、ほとんど海外を知りませんでしたが、このラクロスの体験のように、様々な国の人たちと国際的に仕事ができたら楽しそうだなと思ったのが原点ですね。

田中:実際に入ってみてどうでしたか。

中山:留学中はラクロスチームを作って活動して、大学でもラクロス仲間と練習して夜はお酒を飲んで、ということばかりでしたので全然勉強していませんでした。国際協力銀行の面接の際も、面接官の方に「君は本当に何も勉強してないね、でも声が元気いいから通してあげよう」と言ってもらえて、それで本当に合格してしまったので、入ってからとても苦労しました。ただ、いろんなことを教えていただき、また鍛えていただいて、良い経験ができたと思っています。

田中:その時の経験が現在にも繋がっているのでしょうか。

中山:そうですね。ひとつのことに向かって様々な国の人たちと力を合わせて仲間になるようなことが好きでしたし、何かをやるなら世の中の役に立ちたいと思っていました。子供のころに1994年のルワンダ虐殺のニュースを目にしました。家で遊んでいる小学生だった自分と「同じ時間を生きている違う国の人たち」が大変な目にあっている、それなのに自分は何も知らない、つまり、その人たちが助けてくれと声を発しているかもしれないけれど、その声が自分には聞こえてこないということに対して、子ども心にショックを受けました。助けを求める人がいるなら、その声をより大きくすることや、助けに行けるようなことをしたいと漠然と思っていたところがあって、そうした思いも現在に繋がっているのかなと思います。

田中:小学生の時の思いをいま形にされているんですね、素晴らしいと思います。JICAの後は商社に入られて、更にその後に「留職」の活動をしているところにおられたのですよね。そこではご自身の存在を「伴走者」と表現されていました。音楽の世界にも「伴奏者」がいるのですが、全く違う世界におられる方が同じ響きの「伴走者」という言葉を使われているのが面白いなと思いました。その時のご経験を聞かせてください。

中山:JICAを辞めてから2年間商社で働いた後、2014年に「留職」プログラムを展開するNPO法人クロスフィールズに入りました。大学時代の同級生が起業して代表を務めているNPOで、良い活動をしているなと思い飛び込みました。「留職」は日本企業で働いている方を、途上国のNGOやNPOに派遣するプログラムです。派遣される方のスキルや経験などの強みと、途上国のNPO等の経営課題をうまくマッチングさせて、派遣される方の成長と、派遣先の団体の活動をより良くすることを実現していくものです。「伴走」というのは、実際に留職される方が現地で貢献して、自分も大きくなって帰ってこられるようサポートするため一緒に走るという意味で表現していました。

Caravanはその地域で面白いと思ったものや、文化、芸術、学問などを次の交易地へ持っていくことで文明が混ざりあって新しい文化や学問を産む役割を果たしました。そういうことをしてみようと独立しました。(中山)

田中:そして、現在のLife as Caravanを設立されたのですね。

中山:「伴走者」の立場からいろいろな人が頑張っているのを見ていたら、自分も突っ走りたくなってしまい独立した感じですね。

田中:なるほど。それと同時にOUI Inc.*を始めたということでしょうか。

*現役眼科医が創業した、慶應義塾大学医学部発のベンチャー企業。世界の失明を50%減らし、眼から人々の健康を守ることをミッションに掲げて活動中

中山:自分がいいなと思うことを一生懸命やってみようと思い「Life as Caravan」という名前だけ決めて独立しました。Caravanとは中世にヨーロッパ、中東、アフリカ、アジア等を交易していたアラブの隊商のことです。彼らはその地域で面白いと思ったものや、文化、芸術、学問などを次の交易地へ自然と持っていく、そうすると文明が混ざりあって、世界史上では新しい文化や学問を産む役割を果たしました。私も自分が面白いと思うことを全部やってみたらCaravanのようなことができるのではと思って独立したのです。そして、最初に2019年ラグビーワールドカップのアルゼンチン代表チームの帯同通訳に取組み、それが終わった後に偶然OUI Inc.に出会い、いまではビジネスサイドの責任者となりました。

田中:自分が気に入ったものを次々とやっていく生き方というのは素敵だなと思う一方で、実際には勇気のいることだと思いますが、そのあたりはいかがでしょうか。

中山:これは自分の人生の中でも非常に大きいこととして鮮烈に覚えているのですが、独立した次の日の朝のことです。部屋で一人起床したときに、ものすごいエネルギーや、かつてないほどの自信が沸き上がってきました。それまではクロスフィールズの副代表という肩書がありましたが、肩書も仕事も収入もなくなり、そこへ自信がなくなったらもうお終い、だから本気を出すんだと目覚めたのだろうと思います。いちばん自信がなくなるはずのタイミングで、その沸き上がるエネルギー感を知れたのは良かったなと思います。

田中:命綱がなくなったから本気を出さなければ!といった感覚でしょうか。

中山:そうですね。自分は今まで守られていた部分もあり、本気を出していなかったのかもしれないと思えたので、その点は良かったと思っています。田中さんは歌を始めるために単身ヨーロッパに乗り込んだ際には怖いという感情はありませんでしたか?

田中:私は怖いとは感じるよりも、「冒険しに行く!」という気持ちでしたね。でも私も命綱がない状態なのは同じですから、いまの話はとても共感できます。もう後戻りできないし、代わるものがないような状況で前に踏み出す時ほど、人って意外とエネルギーが出るんだなという感覚を、私自身も思い出しました。

中山:失敗はしたくはありませんし、しないように頑張っていますが、仮にいま全てを失ったとしても、またそこに戻るだけという感覚を知れたので、それほど怖くなくなったかなという感じですね。

田中:そういう気持ちだからこそ全力を出せるのでしょうか。

中山:いまは全力を出すという感覚でもなく一生懸命なだけですが、そちらの方が力も出るなと思います。出せるエネルギーの量が増えたという感じでしょうか。独立して本気を出す感覚が出てきてから、自分の人生がようやく始まったという感じです。

すでに認識されているものの満たされていないニーズよりも、まだ認識されていないニーズへアプローチして、人・モノ・カネが回るようにすることにやりがいを感じます(中山)

奥田:留職プログラムの際は途上国のニーズと日本企業の方の能力をマッチングさせる、人と人を繋いでいくところからビジネスが始まりますが、独立してからも同じような感じでされているのでしょうか。

中山:クロスフィールズのころは途上国へ行って「ニーズは何ですか?」と聞いて、そこから深堀していましたが、いまは自分から突っ込んでいく感覚ですね。

奥田:ラグビーのアルゼンチン代表チーム帯同通訳と、OUI Inc.の活動には共通項もなかなか見出せませんが、両方とも中山さんが突っ込んで得たものですよね。中山さんが選択する基準のようなものはあるのでしょうか。

中山:ぼく自身もなぜこの2つなのかは、まだわからないところですが、自分にとって単純に「面白そうだと思ったり、やりがいを感じたりしたから」という共通点はあると思います。特にOUI Inc.の仕事として、僕が4年にかけて力を入れている「眼の問題」はとても興味深いと思っています。世界で失明されている方は4300万人、何らかの視覚障害を持つ方は22億人もいるのですが、失明される方の半数以上が予防や治療が可能な病気で失明されるそうです。その理由は、眼科医の絶対数が少ないことと都市部に在住していることが多く、例えば途上国の農村では眼科医にアクセスできない人がたくさんいて、そのため治るはずの病気で失明している人がたくさん存在します。一方で、私はJICAで途上国の仕事をしてきましたが、眼の疾患を抱えている方に出会った記憶がほとんどありませんでした。そのことをアフリカのマラウイという国の眼科医の先生に話したら「全然わかってないね」と言われました。マラウイは人口約2000万人に対して眼科医が14人しかおらず、その先生が海外で眼科医の資格を取り帰国して、一人で農村に診察に行ったら1000人が待っていたそうです。眼の病気になったらもう治らないと思って諦めてしまっているだけで、治るのだったら本当は治してほしいと思っている人が沢山いるのです。既に認識されているものの満たされていないニーズ(unmet needs)よりも、まだ認識されていないニーズ(unrecognized needs)へアプローチして、ヒト・モノ・カネが回るようにすること、これはやりがいあるなと考えました。

ごく自然に人からの紹介や出会いがあって、そこから面白いものを発見し、ビジネスに替えていく方なのですね(奥田)

奥田:OUI Inc.との出会いは偶然の、慶應義塾大学の眼科医の先生とお会いしたところからだったと伺いました。ニーズの見つけ方や繋ぎ方が非常に面白いですね。

中山:僕のJICA在籍時にインターンをしていた学生がいました。彼は僕と同じ大学で、当時寂しそうにしていたので、時々コピー室などで「元気?」と声をかけていました。その後10年ほど経ってから大学の同窓会でばったり会って、「慎太郎さん、いま何しているんですか?」と質問されて、その時は独立したてだったので「ブラブラしているよ」と回答したところ、「それだったら、僕の友人で慎太郎さんに合いそうな人がいるので紹介してもいいですか?」となって紹介してもらったのが慶應義塾大学の眼科医の先生でした。

奥田:慶應義塾大学の先生と繋がってからアフリカに行って話を聞いて、これはマッチングできると思い立ったのでしょうか。

中山:僕がその先生にお会いしたのが、アフリカのマラウイという国でOUI Inc.の取組に興味を持ってくれた現地の眼科医の先生が見つかって、現地で実証できないかという話が出ていたタイミングだったんです。それで、僕がすぐ現地に行きました。現場に行ってみて、眼の病気で本当に困っている人がたくさんいることがすぐにわかりました。途上国の環境ですと、生命には関わらないという理由で眼の病気を放っておいてしまう患者さんも多いですが、実は眼が見えるか見えないかでその方の人生は大きく変わってきます。ですから、自分がいろいろ動くことでそうしたニーズにスポットライトが当たり注目してもらえるようになることには、やりがいを感じますね。

奥田:ごく自然体に人からの紹介や出会いがあって、そこから面白いものを発見し、ビジネスに変えていく方なのですね。

中山:格好良く言っていただくとそうかもしれません。悪く言えば、行き当たりばったり(笑)。

田中:根本的に自分を信じているからこそ、できるのではと思いました。

自分は「情熱と笑顔とポジティブなエネルギーをなくさなければいいのだ」と思っています(中山)

中山:そこはアルゼンチンに関する2つのエピソードが大きいと思います。独立した際に大きなエネルギーは沸き上がってきたものの、何もすることがありませんでした。でもアルゼンチン代表チームの通訳をするのだから、とりあえず現地に行ってみようと思い、2か月ほどアルゼンチンを放浪していました。その際、現地で自己紹介をしようにも日本で卒業した大学名やこれまでの勤務先を言ってもアルゼンチン人には伝わらないため、名前以外に言えることがないような状態だったのですが、現地の子供がなぜかとても懐いてくれました。いまでも連絡をくれる子がたくさんいるほどです。何もない自分でしたが、この子たちは自分に興味を持ち友達になりたいとまで思ってくれたこと、それは僕にとってはすごく嬉しくて、逆に「それさえあればいいじゃないか」と思えるようになりました。もう1つは、アルゼンチン代表の通訳の仕事が終わり、最後に空港へ送る際にチームの人が僕のところへ来てこう言ってくれました。「あなたには良かったところが3つある。情熱と笑顔とポジティブなエネルギーだ」と。世界トップを目指しているような人たちから良いと思ってもらえたと嬉しくなり、自分は「情熱と笑顔とポジティブなエネルギー」さえ無くさなければいいのだと、自信になりました。

田中:なぜ通訳の仕事に巡り合えたのでしょうか。

中山:昔の知り合いがワールドカップの組織委員会で働いていて、スペイン語話者で、選手ロッカーに入ることもあるため男性が望ましく、さらに2か月間チームに帯同可能な人を探していると。そこで偶然、僕に白羽の矢が立ちました。

(後半へ続く)

Life as Caravan代表
中山慎太郎

1982年東京都生まれ。2006年一橋大学法学部卒業。
国際協力銀行、国際協力機構、三菱商事株式会社にて中東・アジア・中南米地域のインフラ開発に従事後、NPO法人クロスフィールズの副代表を経て、2019年よりLife as Caravanとして独立。ラグビーワールドカップ2019年日本大会でのアルゼンチン代表帯同通訳、慶應義塾大学医学部発の眼科ベンチャーOUI Inc. のビジネスサイドの責任者として、国内及び海外での事業展開などを手掛ける。

ソプラノ歌手、Japan MEP / 代表理事
田中彩子

18歳で単身ウィーンに留学。 22歳のとき、スイスベルン州立歌劇場にて同劇場日本人初、且つ最年少でのソリストデビューを飾る。その後ウィーンをはじめロンドン、パリ、ブエノス・アイレス等世界で活躍の場を広げている。「コロラトゥーラソプラノとオーケストラの為の5つのサークルソング」でアルゼンチン最優秀初演賞を受賞。同アルバムは英国BBCクラシック専門音楽誌にて5つ星に評された。
UNESCOやオーストリア政府の後援によりウィーンで開催されている青少年演奏者支援を目的としたSCL国際青少年音楽祭や、アルゼンチン政府が支援し様々な人種や家庭環境で育った青少年に音楽を通して教育を施す目的で設立されたアルゼンチン国立青少年オーケストラとも共演するなど、社会貢献活動にも携わっている。
2019年 Newsweek誌 「世界が尊敬する日本人100」 に選出。2022年10月22日に行われた、日本のプロ野球チームの頂点を決める「SMBC日本シリーズ2022」の開幕セレモニーでは国歌斉唱を務めた。
京都府出身、ウィーン在住。