the first memory
トップランナーが果たす“責務”
2024.4.22
2023年3月31日、JERAは長期計画停止をしていた鹿島火力発電所1-6号機(計440万kW)を廃止した。今後、長い年月をかけてその撤去工事が進められる。
日本の経済成長や地域の発展を支えた鹿島火力発電所1-6号機が役割を終え、その歴史に幕を閉じる——実はこのプロジェクトは、それだけに留まらない意味を持つ。1つは、規模・期間ともに、国内最大規模の撤去工事になること。そしてもう1つは、JERAの設立以降、計画から工事完了までJERAとして一貫して取り組む初の撤去工事であり、後に続く他の発電所撤去工事へその取り組みを継承する役目を持つということだ。
鹿島火力発電所1-6号機の終局を追う全3回の、第1回。鹿島火力発電所の髙安所長に、発電所の歴史、撤去工事に至る背景、そしてプロジェクトの目指す姿を聞く。
地域と共に歩んだ50年にわたる歴史
国内最大級の高さ(230m)を誇る煙突も撤去される
取材に訪れたその日は、強い雨と風が吹き荒れる悪天候だった。やがて雹に変わる大粒の水滴が舞う視界のなかに、シンボルである3本の煙突と、巨大な発電設備が姿を現す。
一見すると、頑丈に見える発電設備。長年の運転停止により人が足を踏み入れなかった結果、至る所で錆や損傷が見られ、過酷な環境のなかで朽ち果てていく体を必死に支えているのが窺える。その姿は、電力の安定供給を支えてきた歴史の重みを感じさせる。
腐食によって設備が損傷している
鹿島火力発電所は、企業数約180社、従業員数20,000人余りを有する茨城県内最大の鹿島臨海工業地帯に位置する。もともとこの一帯は広漠とした砂丘地帯だったところ、1960年代に当時の茨城県知事が開発を始めた。鹿島火力発電所の建設が始まったのが1968年。1971年に1号機の運転開始以降、一貫して守り続けてきたのは、「地域との連帯・環境保全」だ。
「この発電所の歴史は、土地を譲っていただいた地元の方々がいなくては始まらなかったものであり、今日までずっと地域に支えられてきました。深い感謝の念を抱いています。」
髙安英明所長。地元・鹿嶋市出身で鹿島火力発電所を見学して発電所の仕事を志望したという
そう話すのは、鹿島火力発電所の髙安英明所長だ。最盛期には300名以上の所員、500名以上の協力会社社員が働いていたという。撤去工事が始まる今、66名の所員が現場に残る。時代が変わり、役割が変わり、体制も変わった。だが、地域との共生を考え、撤去においても安全最優先で取り組む姿勢は変わらない。
協力会社と連携しながら、いつ・どこで何の工事が進んでいるのかを“見える化”している
東日本大震災後に設置された7号系列を除き、今ひっそりとその歴史に幕を閉じようとしている鹿島火力発電所。廃止が決まり、撤去が進む今、髙安所長に心中を聞いた——。
数々の苦難を乗り越えてきた、現場の力
ボイラ上階から。今は物音を立てず、ひっそりとしている
鹿島火力発電所の歴史を紐解くと、時代のニーズに合わせて常に新たな取り組みに挑戦をしてきた痕跡が見えてくる。
「例えば、大容量定圧貫流ボイラのDSS(Daily Start Stop:日間起動停止)化が挙げられます。簡単に説明すると、1号機は最大出力60万kWであり、以前は365日最大出力で運転を続けてきました。電気を安定して使うためには、常に電力消費量(需要)と発電量(供給)がぴったり一致している必要があるのですが、他発電所の増設等により、鹿島火力には需要に応じた供給力の調整機能が求められるようになり、こまめに出力を増減させる改造工事を行いました。
一方で、発電出力の増減ではなく、発電機そのものを停止したり起動したりすると、燃料や水のコストもかかります。そこで最低出力を低減するために、発電所員の設備知識と経験を活用して、最低出力の見直しとボイラ変圧化による改造を実施しました。つまり、電力需要の低い夜間も最低出力で発電し続けられるように改造することで、こまめな起動停止が不要となったのです。このように、鹿島火力発電所は、ニーズに応じて常に変貌を遂げてきました」
電気を絶やすことなく供給するために何をすべきか。その試行錯誤は、所員、協力会社、メーカーなど、現場のアイデアから生まれたものが多かった。
「もちろん、大きな方針は上層部が決めるのですが、トップダウンだけではどうしても中身が定性的、抽象的になりがちです。時代や発電所に合った改造をするには、やはり現場からのアイデアが不可欠。私は東京電力に在籍していた時代、本社の火力発電設備のメンテナンスを担う部署にいましたが、どのような改造をするべきかの検討段階においても、現場からの提案は非常に重要でした」
垣根を無くして意見を出し合い、アイデアを具現化していく。その風土は、東日本大震災の時にも活かされた。津波と液状化により、甚大な被害を受けた1-6号機。しかし、昼夜を問わない復旧作業を行ったことで、約2カ月で全6機を復旧させる。
「津波と液状化という深刻な被害のなかで、2カ月で6機の発電設備を復旧させるのは壮絶なものでした。これを実現できたのは、やはり所員や協力会社、メーカーの方々が一丸となって復旧に尽力したからこそです。当時は、1機立ち上がるごとに首都圏での計画停電範囲が縮小されていくのが目に見え、それが復旧作業へのモチベーションにもなったと聞いています」
2011年3月11日の東日本大震災。発電所内の放水路に津波が襲った瞬間
時代に合わせてきたが故の、苦渋の決断
設備内には、安全に作業を実施するための通路確保など、様々な安全対策が施されている。
鹿島火力発電所が建設された1960年代、発電燃料の主役は石油だったが、次第にCO2排出量が少ないLNG(液化天然ガス)が台頭。さらに発電方式も、燃料を焚きボイラで蒸気を作って発電する「汽力発電」から、ガスタービンと蒸気タービンを組み合わせることにより効率化を図る「コンバインドサイクル発電」が主流となった。そのため石油焚き汽力発電を行う1-6号機の役割が、徐々に少なくなっていった。
「当初は日単位で運転を停止していましたが、徐々に1週間、さらには1カ月単位で停止するようになりました。そのようななかで、2014年4月に3・4号機、同年9月に1号機、同年10月に2号機、そして2020年4月に5・6号機が、長期計画停止となりました。」
そこで、次に課題となったのが「老朽化」だった。家と同じで、使われなくなった設備は日に日に劣化していく。海に面することも影響し、設備の塩害・腐食が激しくなっていった。その状況から、すぐに設備を撤去すべきという声もあったが、東日本大震災後の電力需要の影響もあり撤去計画と実行を進められない実情があった。
「定期的なメンテナンス等安全対策を講じていたものの、設備の劣化が想定よりも速く、そうこうする間に設備が朽ち果てていく。いよいよ撤去工事をする運びになりましたが、『現場に入って安全なのか』という問題がありました。長期の運転停止で、誰も設備に足を踏み入れていなかったので、その判断ができないのです。ただ、現場・現物・現実を把握して、現状を知り、作業環境を整備しないと前に進めないので、意を決して調査作業を始めることにしました。」
調査は2023年7月から1カ月半の期間をかけて、所員が中心となって行った。工事を進めるうえで使用する階段、床、梯子などを、ハンマーで一つひとつ叩いて確認する地道な作業。協力会社に危険な箇所を漏れなく伝えることを使命とし、一つひとつ前に進め、ようやく本格的な撤去工事に入れる段取りとなった。
ハンマーでの点検作業の様子。損傷が激しいところは音が違うという
「最初は所員も不安を抱えながらの調査でした。どのような調査方法が良いのか確信が持てず試行錯誤していたのですが、徐々に勘所をつかむことができました。こうしてようやく設備の全容を確認できたので、現在は損傷の著しいボイラ設備の保温材および煙風道設備の撤去を進めています。この後、燃料タンクの撤去も並行して撤去していく予定です」
撤去作業の伝道師として
発電所員と髙安所長。現在は、運転ユニット長を含め4名4班体制で24時間発電所の監視をしている。
JERAでは、鹿島火力発電所1-6号機以降も、老朽化した発電所の撤去工事の検討が進められている。つまり、鹿島火力発電所は撤去の第一陣であり、ここでの工事が他の発電所にも影響を与える。
「例えば、撤去工事をするには事前に関係各所に申請をする必要があります。私たちはトップランナーですから、そういった事務業務もデータベース化して、他の拠点に共有できるようにしなくてはなりません。そして、安全を最優先にした工事をするために配慮すべき点を、社内に発信していくことも重要。社内報や社内SNSなどを使って、私たちの取り組みをこまめに発信しています。このプロジェクトでは、情報共有も必要なプロセスとして組み込んでいます」
トップランナーとして前例をつくる——そのために必要なのが、原動力であり続けた現場の力だ。「この発電所に精通した人も必要ですし、ボイラをメンテナンスしている人、タービンについて熟知している人など、さまざまな知見を持った人が必要」と話す髙安所長。それぞれが得意分野を活かしながら、やがて撤去作業のプロフェッショナルとして育っていく。実はプロジェクトのもう1つの狙いが、ここにある。
「時代の流れとともに、役割を終えて撤去される発電所はこれからも出てくることでしょう。ここで撤去作業に携わったメンバーは、鹿島火力発電所での仕事を終えた後、撤去が予定されている他の発電所にて「伝道師」として活躍していくことが期待されています。撤去に携わった人たちが、ここでの経験によって自分自身の価値を上げ、外へ羽ばたいていく。それが実現できたとき、このプロジェクトは本当の意味でゴールを迎えると思っています」
50年以上にわたる歴史に幕を閉じようとしている鹿島火力発電所1-6号機。それをいかに後世に残る形で終えられるかどうか。その挑戦は今、始まったばかりだ。(つづく)