ビジネスとアートの共創
第4回「先端技術×創造力」(後半)
2023.10.2
ダイジェスト動画
私にとって音色は感情表現であって、感情をダイレクトに伝えられていると思うのです。それこそ脳も何も通しません。何のフィルターも通さずに直接その感情を音で伝えているのです。(田中)
田中:杉山先生はクラシック音楽を聴いて何を感じますか?
杉山:正直なところ、言葉で表せるものではない感じです。涙が出ることも、楽しくなることも、絶望的な気持ちになることもあります。例えばクラシックコンサートに行って、そのあとお酒を飲みながらお話をしましょうという機会もありますが、そこで話が出来る内容は、コンサートを聴いて得る体験の深い思いではありません。そういう思いは簡単に話せないのだと感じています。私の言語能力では言葉にできないし、言葉にしてしまったら、すごく陳腐化されて、経験が損なわれてしまうような気もするので、大切に取っておきたい感覚です。
奥田:おそらくそこが芸術の本質なのだと思います。脳を通らず直接、胸が苦しくなったり動かされたりするのが、芸術の醍醐味ですよね。
杉山:人間の脳には真ん中のコアの部分と周辺部分があるのですが、コアではいわゆる生命活動、脈拍の維持や、空腹感、あるいは衝動的なものが担われていて、脳の周囲は理屈を司っています。人間は世代を重ねて様々な知恵が付くことにより脳の周囲がアクティブになったのですが、感じることに関しては、例えばクラシックでもメロディー通りに技術的に演奏することに気持ちが向いてしまうと、脳の周辺がフィルターのように機能して、本来の感じるべきものが感じにくくなってしまうのではと考えています。音楽の専門家は、どうしてもいろいろな情報が気になってしまって、本来音楽から感じたかったことを感じられなくなることがあるのではと思います。むしろ私のような素人の方が気にせずに感じられ、脳の周囲を通さずに直接脳の真ん中に入ってくるのではないかと思います。さきほどの高野山でも、空海さんが修行して世界感を悟るに至ったときに「邪念を排する」と表現していますが、これは脳の周囲をいったんスイッチオフする術を修行で身につけたのではないかと思っています。
田中:なぜお聞きしたかというと、私にとって音色は感情表現であって、感情がダイレクトに伝えられていると思うのです。それこそ脳も何も通しません。何のフィルターも通さずに直接その感情を音で伝えている。そのため受け取る側の感情も豊かであれば、急に悲しくなったり嬉しい気持ちになったり、伝える感情を受け止められる。ではクラシック音楽を聴いて何も感じない人がいるとき、それは伝える側、受け止める側の感情が響かないからだと考えると、双方もしくはどちらかが脳のフィルターを通してしまっているのかもしれません。何も考えない状態で入ってきた時は、ピュアな心と心の、感情のぶつかり合いなので、それをどれくらい受け止められるようになれるかが、アートに触れる時に大切なことだと思うのですね。そう考えると、様々な経験をして、感情を豊かに育むことは大切ですよね。
杉山:経験は大事ですよね。受け止める経験をしないと、豊かに心が動くようにならないのではと思っています。これを私は共鳴と表現しますが、波長が来た時に反応する物体、それは心でも良いのですが、それが動きやすくなっていれば同じ波長で振れるわけですよね。その感情の受信器が自分の中に豊かに作られていて、うまく反応してくれるといいですよね。感情を開くスイッチがポンとあって、それがフワッと開く、その感情を開かせるのはコンサートホールや美術館だけではなく、真面目に仕事の話をしている時にも感情スイッチが自然に入り、馬が合うなと感じることもあります。
ビジネスも感受性を受け止める装置をたくさん持った人がいないと、次の時代に移行できない。高野山会議が社会に対して広い意味でのアートをインストールする装置になっていくことを期待しています。(奥田)
奥田:これはビジネスでも全く一緒です。例えばベンチャー企業の方が話を持ってこられて、JERAさん一緒にやりませんか?と言ってもらった時に、凄いパッションを感じる人と、全く感じない人がいます。色々な経験をしながら広い意味でのアートセンスを磨いた人ほど、そうしたものに感じやすくなっていると思います。ビジネスも感受性を受け止める装置をたくさん持った人がいないと、次の時代に移行できない。それがないと結局、お勉強がよくできる世界で頑張ろうとするので、それは「誰かがやったビジネスモデルをもっと上手にやる」というところで留まってしまうのだと思います。
実は、ついさきほど、社長就任にあたって社員向けに出すメッセージの取材を受けました。最後に「若手時代には何をしたらいいですか?」という質問があり、インタビュアーが期待しているのは、「●●を勉強するのがおすすめ」という回答ですが、私は「体力のある20代のうちに土日にコンサートホールや美術館に行ったり、古典の大作を読んだりするのが良い」と回答しました。そうした機会を創造するのがとても大事だと思っています。ありとあらゆる機会で、感受性を豊かにする装置を作りインストールしていく。こうしたことをしないと、なかなか変わっていかないのかなと思っています。そういう意味では、まさに高野山会議が社会に対して広い意味でのアートをインストールする装置になっていくのではないかと期待しています。
杉山:同感です。広い意味でのアートをインストールする装置なんですよ。高野山はとにかく特殊な環境です。非日常的な、古来人工的に作られた謎の森の中で何かしら研ぎ澄まされたセンスが醸成されるような雰囲気があります。感じられる環境や体験を促す装置を世の中のあちこちに置いていくのはとても重要なことで、装置の効き目を強くする仕組みも必要ですが、それは様々な方法があり、人によっては有名なロックミュージシャンのライブかもしれないですし、「私にはちょっとそれはうるさすぎる」という人にはクラシックのコンサート、というように多様性もあっていいのだと思います。
田中:リーダーの方に連れられて行った、そもそも興味のない子が、そこで凄く感じて「開いて」しまうこともあるでしょうね。
杉山:「全員に響くとは限らないけれど、みんなで行きましょう」とコンサートに行くことで、田中さんのおっしゃる通り「開いて」しまう人もたぶんいると思います。私も昔に放送室でこっそり聴いていたレコードでクラシック音楽の世界という扉が「開いて」しまったと思います。そうした「開く」体験を、教育現場にも仕掛けていくのが大事だと考えています。奥田さんも話されたように今はお稽古ごとをしましょうという傾向が強くなっているので、時間が限られているのだったら、お稽古ごとをするよりは先に感じる体験をした方が良いのではと思います。
奥田:お稽古をしてもいいと思いますが、順番が逆だと思うのです。まず、いろんな音楽を聴いたり、絵を見たり、建築を見たり、それで感じるものがあれば、やってみるというのが正しい順番かなと。
田中:いかに自由な環境が幼少期にあるかで、その後の影響が大きいですよね。
杉山:多くの人はなかなかそういう感動する可能性がある体験をできないかもしれないので、色々なチャンスを与えてあげることが大事なのではと思います。
田中:お稽古事になるとお母さんに怒られるから、ということになってしまいますよね。本当はサッカーをしたいのだけれどお稽古事の練習をしなくては、というように。そうした観点では、小さい子も相手にすることはあるのですか。
杉山:先端研では小学生を相手にする機会は少なく、今はSTEAM教育として担当を置いて、主に高校生、場合によっては中学生を対象にいろいろ試みています。未来の我々の生徒さんである高校生を中心に、こういう世界がありますよとか、こんな面白いことがありますよ、というのを一生懸命伝えようとしています。しかし、中身は少し硬い理系的なことが多く、「感じてみましょう」という仕掛はまだこれからです。科学技術の研究者側と、芸術家の卵たちの両面からのコラボレーションで若い人たちに刺激を与えていくことが、これからとても重要ではないかと思案しています。今、先端研のキャンパスに芸術大学の人を招き、いろいろな試みを始めようと考えています。
田中:それは学生同士での試みでしょうか。
杉山:もちろんプロの方に来てもらっても良いのですが、まず学生さんたちがそういう経験を通じて、お互いをより知っていくというのが良いと思っています。芸術大学に科学技術の人を入れて、芸術家の卵たちに考えさせようという試みはあるようなのですが、我々の方も、もっと感じようということで、芸術家を取り込んでお互いが混ざり合っていくことが、これからはとても大切で、こうした考えを若い人に伝えることも大切だと考えています。
AIは過去にパターンがあったものしか作れません。モーツァルト風の曲は作れるかもしれないけれど、モーツァルトを超えた新曲は作れない。(杉山)
杉山:最近はやりの生成系AI、人工知能の話がまた面白いんですよ。
奥田:そこには永遠に「感性の力」がない、その違いで説明できるのですよね。
杉山:AIは何でもできるわけではなく、過去にパターンがあったものしかできません。それを組み合わせることで新しいパターンも作れるのですが、全然違うことはできないのです。モーツァルト風の曲は作れるかもしれないけれど、モーツァルトを超えた新曲は作れないということです。今までの積み重ねの中でAIが経営判断をサポートしてくれる場面は出てくると思いますが、今度はこちらに張ってみようということをパッと思いつくかどうか。
奥田:AIではリスクが取れないと思います。
杉山:お医者さんの通常の診断には向いています。喉の痛みがあったとして、過去のデータから、指標や傾向を読み取り、また画像診断もできます。こういうパターンはガンの可能性が高いと分かってくれば大きな転換となります。
例えばシェイクスピアの2つの作品について論じてください、と入力すればサッと出てくるわけです。ここまでAIが出来るようになっているので、人間はその先のことをやらなければならない。日本だと人手不足になってきているので、よく職業が奪われると言われますが、上手く使えば決してそのようなことはないと思うのです。
奥田:オープンイノベーションの取り組みをJERAにも取り入れることを議論し始めているのですが、考え方が既存のビジネスモデルを前提にどういう技術を取り込んでいくかという従来の延長線上のスタイルなのです。そもそも人類が把握できているエネルギーや物質は宇宙全体では数%と言われています。「まだ解明されていないエネルギーや物質を取り出すところにも張っていけばいいんじゃないの?」と思わず発言してしまいました。今、地球上で明らかになっているエネルギーだけでは、地球上のエネルギー問題は解決できない、そういうぶっ飛んだ発想も必要だと思うのです。
杉山:そういう問題の議論になると、ついつい私は脳の周囲のみが活性化されてしまいますね、どうしてもその分野の人間なので(笑)。2050年など、気候変動に対して比較的クリティカルな年代までに、ぶっ飛んだソリューションが出てくるかですね。もちろん、あらゆる可能性を一切否定してはならず、張れるものには、どんどん張っていくべきだと考えますが、一方で今ある技術の延長線上のこともしっかりやっていかないと、2050年に向けた対策は本当にゼロになってしまいますよね。両方の視点が必要だと思います。今ある技術の延長だけだとたしかにつまらない。
奥田:既におおよそ見えていますよね。「この効率を15%改善すればどのような効果が出る」といったように。社内で新技術を検討する際に95%の人間は既存のビジネスの延長線上でしっかり取り組んで、5%ぐらいは少しぶっ飛んだ違う世界に張ってみようか、となっても良いと思っています。
杉山:まさに私たちのキャンパスにアーティストが必要と言っていることと通じていて、ぶっ飛んだ発想をする人がいないと物足らないですよね。アーティストには、私たちが表現できないものを表現して欲しいので、ぶっ飛んでいてほしいのです。逆を言うと、田中さんのようなアーティストから見たつまらない社会は、僕らがしっかりと押さえていけばいい。そうした両方の観点が大事なのだと思っています。
環境問題をニュースでちょっと聞きかじるのと、具体的に活動されている方のお話を伺うのでは、朝焼けの中で鳥が飛び立つ歌詞をうたっている最中に浮かぶ情景が違ってきます。(田中)
奥田:田中さんは本当に好奇心が旺盛で、様々な方とお話をされていますよね。やはり音楽にも影響がありますか?
田中:たくさんの影響を受けています。色々な方とお話をすることで、世界を見る視野がとても広がっています。音楽家は、やはり音楽ばかりになってしまうので、例えば環境問題に興味があっても、色々な方からお話を伺って、再生可能エネルギーの取り組みなどを初めて具体的に知ることができます。それらはやはり自分に返ってくると感じています。
杉山:なるほど。例えば舞台で歌う際に感じる響き方、それは音声などの物理的な波動ではなく、声を発する前の心の動き方や、人間の内側の部分の動き方が、視野の広がりに伴って影響され変わってくるような部分がありますか。
田中:変わると思います。例えば音楽家は皆さんが普段、表に出せないような感情を舞台で代わりに表現しているような立ち位置だと思っています。でも例えば、環境問題を普段ニュースでちょっと聞きかじるのと、具体的に活動されている方のお話を伺うのでは、歌っている最中に浮かぶ情景が少し違ってくると思います。朝焼けの中で鳥が飛び立つ歌詞を歌っている際に、もしかすると30年後にはこうした情景はなくなるのではないか、私自身も地球の住民として何とかしたい、愛おしい、なんて素晴らしい大切な情景なんだろう、という気持ちが入ってきて、それを皆さんにお伝えしたいというような、そういう点に返ってくると思うのです。
杉山:単なる牧歌的な風景を表現しているのではなく、実はこれは過去の情景で、無くなっていくものかもしれない、という感情が出てきた時に表現が違ってくると・・・。
田中:そうですね。小さい頃は綺麗な小川で遊んだ記憶もそうですし、そうした情景が無くなるかもしれない、儚く美しい、恋しい、という感情がより深くなるイメージです。
杉山:なるほど、やはりそうですか。我々からすれば、アートが大事だと言いながら論理的な話をガチガチやるのですが、アートを感じることはメリットだと思っています。我々が絶対に体験できないような深い感情の世界、例えば、あってはならないような架空の話ばかり書いているオペラの世界は、オペラ観劇を通じて我々が疑似体験をすることで、普段では絶対に感じられないような心の動き方が、こちら側に入ってくるのを願っているのかもしれませんね。
奥田:話は尽きませんが、このあたりで中締めとさせてください(笑)。やはりアートは結局のところ「感じる力」だという点、ここが今日の一つのテーマだと感じました。科学技術でも、芸術の世界でも、感性によって人は繋がっていくもので、それがあることによって、新しい分野同士の繋がりもできて、新しい価値が創造されるということですね。「考える力」と「感じる力」がうまくバランスすることにより、今までにない次元の価値創造ができるというのが、今日の一番大事なところだと思います。それをインストールする装置をどうやって作るのかという事については、様々な感じる体験が感受性を育むためには有効で、そうした装置をみんなで至る所に作っていくことで、考える力と感性力の育成がバランスしてくるのでは、というのが今日の大きな結論かなと思います。
とても楽しいお話ができました。ありがとうございました。
(対談を終えて)
最先端の科学技術を研究されている杉山先生から、「分野の異なる研究者同士を繋げるのは感性です」という言葉が出てくるのは驚きですが、同時に深く共感いたしました。「考える力」と「感じる力」をバランスよく育むことが、最先端の技術開発には必要だというのは、そのままビジネスの現場における価値創造にもあてはまることだと思うからです。一方、田中彩子さんはいろんな分野の方とお話しすることを通じて、歌詞から浮かぶ情景が変わり、歌により深みが増していくということをおっしゃいました。芸術は趣味やお稽古として、科学やビジネスとは異なる世界に置かれてしまう傾向がありますが、それらはむしろ同じ世界で混じり合うことにより、お互い高い次元に昇華していくのが本来のあり方であることを再認識させられました。
東京大学先端科学技術研究センター所長、工学博士
杉山正和
1972年生まれ。専門はエネルギーシステム分野。2000年、東京大学大学院工学系研究科化学システム工学専攻博士課程修了。博士(工学)。2016年、東京大学大学院工学系研究科教授、2017年より東京大学先端科学技術研究センター教授、2022年4月より所長を務める。
ソプラノ歌手、Japan MEP / 代表理事
田中彩子
18歳で単身ウィーンに留学。 22歳のとき、スイスベルン州立歌劇場にて同劇場日本人初、且つ最年少でのソリストデビューを飾る。その後ウィーンをはじめロンドン、パリ、ブエノス・アイレス等世界で活躍の場を広げている。「コロラトゥーラソプラノとオーケストラの為の5つのサークルソング」でアルゼンチン最優秀初演賞を受賞。同アルバムは英国BBCクラシック専門音楽誌にて5つ星に評された。
UNESCOやオーストリア政府の後援によりウィーンで開催されている青少年演奏者支援を目的としたSCL国際青少年音楽祭や、アルゼンチン政府が支援し様々な人種や家庭環境で育った青少年に音楽を通して教育を施す目的で設立されたアルゼンチン国立青少年オーケストラとも共演するなど、社会貢献活動にも携わっている。
2019年 Newsweek誌 「世界が尊敬する日本人100」 に選出。2022年10月22日に行われた、日本のプロ野球チームの頂点を決める「SMBC日本シリーズ2022」の開幕セレモニーでは国歌斉唱を務めた。
京都府出身、ウィーン在住。