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ビジネスとアートの共創
第4回「先端技術×創造力」(前半)

2023.10.2

ダイジェスト動画

奥田:今回は東京大学先端科学技術研究センター所長の杉山正和先生にお越しいただきました。杉山先生は、高効率の太陽光発電や、太陽光エネルギーを使った高効率な水素生成、そして人工光合成などの研究をされるなど、JERAのビジネスとも親和性が高い研究に取り組まれています。また先端科学技術研究センター所長として、科学と芸術の接点を探求され、STEAM教育にも熱心に取り組まれています。今日は広い意味でのアート、人間が創り出す力に焦点を当ててお話が出来ればと思います。それでは、ここからは田中さんにバトンタッチして進行をお願いしたいと思います。

東京大学先端科学技術研究センターは、様々な分野の人(研究者)が集まりメロディーを奏でたときにどのような化学反応が起こるかを機動力よく試せる実験場なのです。(杉山)

田中:まずは、杉山先生が先端科学技術研究センターで、どのようなことに取り組まれているかを教えてください。

杉山:東京大学の先端科学技術研究センター、略して先端研と呼んでいますが、名前を聞いても何をしている組織かわからないですよね?

田中:うーん何だか凄そうだな、という感じでしょうか(笑)

杉山:そこまで思っていただければ90点です!東京大学には11の研究所がありますが、私たち先端研は36年前に発足した、最も新しい研究所です。JAXAの前身である宇宙航空研究所が東京大学にあったのですが、この組織がどんどん大きくなり、東京大学からスピンアウトした後に、新しい研究所を作ろうとなりました。研究所は元来、一種類の楽器のアンサンブルのような組織ですが、発想を変えて、様々な楽器を集めた小規模なアンサンブルを作ってみようというのが先端研の始まりです。大学内で医学部、工学部や理学部、はたまた法学部、経済学部など、東京大学の中にあるほぼ全ての学部から一番先鋭的な人を先端研に集めたわけです。音楽でいうとアンサンブルからは外れそうな演奏者が集められて「あなた達で何か曲を奏でられる?」と言われたのが先端研だって思ってもらえればと。

田中:クラッシックで例えると現代曲専門な印象です。

杉山:現代曲に限らず、何でもやりますよ。新作の委嘱曲もやりますし、古典もやりたいです。いま世の中がどういう曲を聴きたいのかを考えて、作曲することも考えます。とにかく身軽な集団で教員は総勢約130人です。東京大学全体では数千人規模ですので、とても小さい組織であることがわかると思います。大きなオーケストラだとどうしても個性は出しづらい、個性を出したら指揮者から怒られるという事もありますよね。でも我々の先端研は、ソロは弾きませんが、各プレイヤーの個性を出しやすい少数のアンサンブルです。弾いている人の顔も見えるのですが、個人プレイではありません。様々な分野の人が集まりメロディーを奏でたときにどのような化学反応が起こるかを機動力よく試せる実験場なのです。つまり先端研は、どのようにでも姿を変えられるし、この世の中がいま何を求めているのか、いまよりもこの先に何を求めているのかを、一番深く考えています。格好よく言うと、次の時代に来る波を我々の持つ力でより良い方向に持っていくことを常に考えている集団です。

田中:音楽で例えていただき、私にとっても分かりやすくお話を伺えました。ありがとうございます。杉山先生はなぜクラシック音楽に興味を持たれたのでしょうか。

杉山:学校で音楽鑑賞をする授業があったのですが、様々なクラシック音楽の曲に触れることが出来るその時間が私はとても好きでした。放送係をやっていたことがあって、その時には放送室でこっそりレコードをかけて楽しんでいたのですが、そうした機会を通じて、自分に音楽が染み込んでくるような感覚がありました。そしてテレビでNHK交響楽団を聴くようになり、大学入学後はNHKホールと東大駒場のキャンパスが近く、月に数回コンサートに通うようになるなど、どんどんマニアックになっていきました。

分野の異なる様々な研究者を繋げるのは感性です。感じ合う、感性が響き合うようなこと、そういう点がアートの世界でもサイエンスの世界でも共通して大事なのではと考えています。(杉山)

田中:クラシック音楽が好きな杉山先生が、研究者の方々と教育にはアートが必要というところにたどり着いた点が非常に興味深いです。

杉山:いきなり深いところに来ましたね(笑)。先端研は東京大学の様々な分野の人を集めて、カレーやラーメンの専門店ではなく、幕の内弁当を作ってみましょう、というような組織です。東大の中でも初めてですし、日本の大学でもおそらく当時では初めての試みだと思います。例え話をします。今、医学は変革期にあります。これまでは「この病気には漢方薬が効く」など、経験則を基に人間の知恵を集め、病気を治す方法を積み重ねてきました。今の医学の基礎になっている技術は「化学」で、炭素と水素と窒素が複雑な並び方をするとある形のタンパク質が出来て、それが薬になり毒にもなります。そして、なぜそれらの原子がこう並ぶと、並び方によって異なる形をとるのか、これは「物理学」の考え方です。さらに最先端の医学では、化学、物理学に加えてAIなど「情報科学」までもが入ってきます。
また、いわゆる発達障害として集中力が持続しないと一括りにされている人たちは、教科書のなかで本当に読むべき箇所の文字だけを見せる環境を整えれば、しっかり集中して勉強することが出来ます。このような技術を使って様々な人の社会参画を可能にするのが「バリアフリー分野」です。次にそれを法律にして、社会実装していく…などは「法学」や「経済学」ですね。医学はもはや生物や化学だけの世界ではなくなっています。

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分野の異なる人同士が話をし繋がって、楽しい創造性に向かうようにするのが、所長をはじめとした先端研という器の仕事です。
何をもってして「この人は凄そう」だとか、「この人がやっていることは何だかワクワクする」というのかというと、それは理屈ではなく感性だと思います。先端研という複雑な環境の中では、人と人との論理を超えたコミュニケーションの重要さを強く感じます。私はオーケストラの指揮者ではありませんが、指揮者はすべての楽器を奏でることは出来ないながら、演奏している人のこと、あるいは歌う人のことを想像しながら感覚で伝え感じ合い、感性が響き合う、そのような点がアートの世界でもサイエンスの世界でも共通して大事なのではと考えています。最初に戻りますが、クラシック音楽が好きになった理由は、数式を解いたり論文を書いたりしていた時に、それだけではないというのが本能的にあって、心が動くものを求めていたのでしょう。それが今に続いているのかなと思います。

田中:今のお話を伺って、非常に柔軟なお考えをお持ちになられていると感動しました。また、「私はこれが専門だけれど、それとは異なるこの専門分野の人とコラボしたら、また新しい広がりが生まれるかもしれない」というように、先端研の皆さんも柔軟なお考えをお持ちなのだろうと思いました。そのような想像力の有無で、進む、進まないということもあるのでしょうね。クラシック音楽で例えていただきましたが、先端研の所長は指揮者というよりも、常に皆の中にいるコンサートマスターに近いイメージが湧きました。様々な楽器の専門家が集まるオーケストラを一つにまとめるコンサートマスターは素晴らしいですが、先端研でまさにそのコンサートマスターのように振舞われているのを聞いて、なるほどと思いました。

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化石燃料を使ったら地球温暖化を引き起こすことは、科学的に考えれば昔から分かっていたはずでしたが、今頃になってようやく人々の想像力がそこに及んだのです。科学者こそ感性を大切にしなければならない。(杉山)

杉山:ありがとうございます。まだまだ実験中ですが、そうした方向性を私たち先端研の特徴にしていきたいと思っています。田中さんがおっしゃったように、お互いが想像して、より良い響きが出るよう工夫してハーモニーを楽しむこと、これは実は音楽家だけの特技ではなく、様々なセクターで無意識に行われていることだと思います。
私が主に活動しているエネルギー分野も、以前は石油やガスをどこかから採掘して、安定して安く入手できればみんな幸せという時代でした。化石燃料を使ったらCO2が排出され、そのCO2が地球温暖化を引き起こすことは、本当は科学的に考えれば昔から分かっていたはずでしたが、今頃になってようやく人々の想像力がそこに及んだのです。私たちの暮らしを豊かにするための活動の副産物が私たちの将来を危うくしているという事実を人々が認識することで、エネルギー問題が複雑化してきています。例えば太陽光発電や風力発電など再生可能エネルギーを大量導入するために、山を切り拓けば、今度は山に住んでいた動植物の生態系の破壊問題が発生してしまうなど、本当に様々なことが複雑に絡んでいます。地球全体で考えれば、複雑に問題が絡み合う中で、どうしても調和を取る必要があります。そのためには、先ほど申し上げたように音楽家や芸術家の専売特許ではなく、科学者こそ感性を大切にしなければならないのだと思っています。

奥田:前回、米倉誠一郎先生と対談させていただいた際に、イマジネーションの「想像力」、そしてクリエイティビティの「創造力」がないと新しい価値は生み出せないという話がありましたが、その話と非常に似ていますね。それと、人はやはり感性で繋がるという点がポイントですね。先端研のメンバーはそれぞれに専門を持ちながら、パッションや感性で繋がり、新しいものを一緒に生み出していこうというドライブが働いているのですよね。そこにアートと科学の関係性があるというのが杉山先生のお考えかと思います。

杉山:そのとおりですね。先端研における「先端」の意味は何であるか、もう一度考えてみようと皆で話しています。単に言葉通りに尖っているのではなく、また、誰もやっていないことをやるということでもなく、イノベーションに繋がる動きを「先端」という言葉で定義しようと私は考えています。つまり、ソリューションが求められているところ、解決策がないところを探求していくことが「先端」であり、そこには「想像力」と「創造力」が絶対に必要だと考えます。
先ほど申し上げたCO2の問題のように、目には見えないものの将来出てくるかもしれない悪影響などに思いを馳せる能力、これも「想像力」ですよね。こうした想像力に対して重要になるのが感性だと思っています。この感性を豊かにするためにはいろいろな方法があっていいと思いますし、私の場合は音楽を聴くことがトレーニングになっています。そう思って音楽を聴いているわけではないのですが、結果的にそうなっているのかもしれません。こうしたことから、先端研で最も大切なことは、互いの仕事を見て互いに感動すること、そしてその感動体験がどれだけあるかが、組織の活力になると思っています。先ほどちょうどコンサートマスターのお話も出ましたが、先端研には東京フィルハーモニー交響楽団でコンサートマスターを務める近藤薫特任教授の考えも身近に存在しています。そうした感性を豊かにしていくにはそれを育む環境もまた大切で、私たち先端研は、1200年の歴史を持つ高野山で「高野山会議」を開催しています。昨年は、高野山の墓地で夜に、近藤薫特任教授達にチャイコフスキーの弦楽四重奏を演奏いただきました。

田中:チャイコフスキーですか?

杉山:そうです。チャイコフスキーを高野山の墓地で演奏するのです。参加者には何が起きるか秘密にして、真っ暗な中でロウソクを灯して歩いて行きます。墓地に到着すると、暗闇の向こうから急にチャイコフスキーが流れてくるのです。加えて、演奏終了のタイミングで空が晴れて満天の星空が見えました。これは涙が出るような体験でした。非日常的な環境で、異なるものを組み合わせるとまた別の感じ方があり、感性の豊かさ醸成にとても良い影響を与えるのではと思っています。

奥田:田中さんのモノオペラ「ガラシャ」に通じるものがありますね。田中さんも感性で仲間を集めて、ひとつの新しいものを創り出そうとされています。ほとんど同じ次元のお話ではないかと思いましたが、いかがでしょうか。

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田中:共通点があると思いました。クラシックはコンサートホールで聴くもの、というイメージが強いかもしれませんが、私は場合によりけりだと思っています。「ガラシャ」もホールや能楽堂で上演したこともありますが、屋外で上演すると、個人的には仕上がりが全然違うと感じました。その理由を考えてみたのですが、楽器は自然のものからできているので、自然由来のものと音が共鳴するのかなと。今のお墓のお話も、それも自然の一部ですから、そうした場所でしか出せない音はあると思いますので、とても面白いなと思いながら聞いていました。

私たちは、積み上げ型で先人や現在の知恵を全て引きずって考えるわけです。ひょっとすると我々は考えていることによって、感じにくくなっているのかもしれませんね。(杉山)

奥田:高野山のような非日常的な場所に行くと、みんな頭が真っ白になるのだろうと思います。例えば私にはJERAの社長という肩書がありますが、高野山に入った瞬間それを忘れ、一人の人間に戻っています。高野山会議の参加者も、おそらくそうだろうと思います。そうした状態なので、なおさら感性同士が響き合いやすい、また自然環境の中ですし、感じるものがより多くなっている状況なのかなと思いますね。

杉山:響き合いやすいという事は、すごく大事なことだと思います。田中さん、奥田さんから「響き合う」「共鳴」という言葉が出てきますが、量子力学からみた世の中の捉え方で言えば、すべては波動です。

田中:波動ですか。

杉山:そうです。私たちを構成してる原子や分子も、究極的にはその波の重ね合わせでできているという考え方をします。少し話を飛躍させますと、波同士が共鳴するのは物理現象で、同じ波長の波は位相が合うと強め合う現象もありますし、逆に位相がひっくり返ると消し合います。人と人が「響き合う」のは本質的には、我々の存在が波であるということが関係しているのかもしれません。また、高野山ですが、あの場所ではセンスが研ぎ澄まされる感覚になります。奥田さんが言われるように属性がそぎ落とされる感覚です。そもそも属性が付いている時には、色々なことを考えなくてはなりません。「考える」ことはとても重要なことですが、この「考える」は我々の世界で言えば、まず算数と理科を勉強して、それが数学、物理、生物や化学になり、さらに法律も入ってくるなど階層構造で知識を積み上げ、そこに先人の知恵もリスペクトしたうえで、新しいことをやっていく事を考えるわけです。つまり積み上げ型で先人や現在の知恵を全て引きずって考えるわけです。それとお互い共鳴し合うこととは次元が異なる気がします。頭を真っ白にして考えてみましょう、とよく言いますが、ひょっとすると我々は考えていることによって、感じにくくなっているのかもしれませんね。

私はいつも舞台に上がる前は、滝に打たれるような神聖な感覚で臨みます。ウィーンで歌を始めた頃、いつも言われていたのが「考えるな、感じろ」でした。(田中)

奥田:前回の米倉先生との対談では、田中さんはベートーベンやモーツァルトの楽譜と向き合うとき、ベートーベンはその辺を歩いている近所のおじさん、モーツァルトは道で会うお兄さんなど、偉大な音楽家とは一切思わずに楽譜に向き合うという話がありました。これと通じ合う話だなと思って聞いていました。そのような思考をしないと、余計な情報が付いてきて、感じる前に考えてしまう。考えてしまうと結果それが制約要因となり、新しいものを生み出せなくなってしまう。また、別の田中さんの話で印象に残っているのは、ステージで歌唱する前は何も考えない、降りてくるだけというお話です。アートセンスは、先ほどの波長の話と同じように、考えているわけではないですよね。そこはとても大切な点ですね。

杉山:私も依頼原稿などを書く時に、書き続ければ出てくるものではない、降りて来るという感覚はあります。

田中:高野山の話に繋がりますが、降りてこないというのは、邪念があるのだと思うのですよね。高野山では研ぎ澄まされるというお話を聞いたときに、いつも舞台に上がる前は、いわゆる滝に打たれるような神聖な気持ちで臨む感覚を思い出しました。また、ウィーンで歌を習い始めた頃、いつも言われていたのが「考えるな、感じろ」でした。音や言葉のこと、それこそ「モーツァルトだから」と考えてしまうのもいいのですが、そうすると邪念が入り感じられなくなるのだなと改めて思い返しました。

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考えることが不要ということではないですよね。感性の世界と論理の世界を行ったり来たりして、新しいものを創っていくということなのではと思っています。(奥田)

奥田:とても面白いですね。あえて申し上げれば、考えることが不要、そういうことにはならないですよね。田中さんも楽譜があって、それを読めることで感じられるものがあるはず。その関係が難しくて、いつも私はアインシュタインの話を思い出すのです。彼はバイオリン奏者であり、モーツァルトの研究家で、普段から音楽でものを考えていたという話がありますよね。私たちは言語や数式などの論理に縛られていて、さらにはコミュニケーションしているときも言語の論理の壁は超えられていません。そうした論理以上のものを表現しようと思ったら音楽しかないから、アインシュタインはバイオリンを弾きながら音楽で考えて、時空の絶対性もおそらく音楽の感性から出てきて、でも人に説明するには音楽では伝えられないから、これを数式にすることにチャレンジしようと論理の世界に戻ってくる、こういう関係なんじゃないかと思っています。感性の世界と論理の世界を行ったり来たりして、新しいものを創っていく、こういう事なのではと思っています。

杉山:言葉や数式、楽譜もそうですが、共通の概念という枠組みの中でコミュニケーションツールとして出てきたわけですよね。その枠組みには限界は確かにあり、そこを跳び越えて感じることを伝えるために枠組みの中に戻ってくるわけです。「感じる力」が豊かな人が、飛躍してたどり着いた新たな世界を伝えるために、もういちど、言葉なり、数式なり、音楽なりに落とし込もうとするときにさてどうするか、という話ですね。高野山の空海さんも悟りを開いたのだと思いますが、それを伝えるために、空海さんの教えを抽象的ですが言葉に書かれています。その言葉が思った通りに伝わっているかはわかりませんが、そこにある程度の曖昧さがあって、伝わり方によってバリエーションが出る余地があると、また次の展開になるのかもしれません。

古来ギリシャから発展してきた学問では、芸術は必ず論理的な活動と一緒にあり、二つが両輪としてリベラルアーツの中で実装されています。(杉山)

奥田:感受性を豊かにするためのトレーニングというのも必要だと思います。感じるためには、感動させようとしている人のメッセージを聞く機会をたくさん作ることが大切で、そういう意味で教育の機会はとても大事だと思うのです。しかし、学校教育は感じる教育にはなっておらず、例えば音楽だとハーモニカや笛、ピアニカなど、図工でも絵を描いたり彫刻刀で掘ったりなど、お稽古の時間になっているので、私は、鑑賞する機会をより増やして感じることを大切にすべきだと思っています。例えば抽象画を見て何が書いてあるか理解できないものの、何かすごいエネルギーを感じるねといったような体験です。良いものが理解できるという感性を持つことは、もっと美術館やコンサートへ行こうという行動にも繋がり、相乗効果で良い音楽家や画家を育てることにも繋がっていくのだと思っています。そうした体験を繰り返すことで、考える力と感じる力のバランスがだんだん取れるようになるのだろうと。いまの日本は少しバランスが悪いかなという感じがします。

杉山:日本の大学教育で必要なことが教養教育です。最近は1年目から専門教育をどんどん進めるようになっていますが、アメリカの大学は必ず教養学部を残していて、さらに必ず芸術部門があります。結局、本来の高等教育の根本には、ロジカルに考えていくトレーニングをしつつ、感じる能力を育てることが大事だと思います。古来ギリシャから発展してきた学問では、芸術は必ず論理的な活動と一緒にあり、二つが両輪としてリベラルアーツの中で実装されているのです。日本では先ほど言ったように、教養教育と芸術を極めようとしている大学が完全に分離している、世界的に見れば特殊な仕組みになっています。

経験を通じて感性が高まっていくのがSTEAM教育だと思っていて、それをどうするのかが、これからのとても重要な挑戦です。(杉山)

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杉山:昨今のSTEM教育とは、科学・技術・工学・数学のいわゆる理工学的な要素を早い段階からモチベーション高く身に付けるために、若い人にも最先端の研究者と交流する機会を与え、理工学的な素養をもって世の中のリーダーにしましょう、というものだと理解しています。そこに「A(アート)」を入れたSTEAM教育となったときに、「Aのアートとは何ですか」と現場で困惑されている教育者を何人も見ています。「A」とは哲学や文学などもバランスよく学ぶ「リベラルアーツ」だという見解もありますが、本来アートにどういう意味があるのか、本質的に何が大切なのかと考えると、おそらく「A」は「感じる力」なのだと私は思っています。理系の教育は、同時に感性を豊かにしなければ、最終的に目指すところに到達するのは難しいのではと考えます。
STEAM教育自体は大いなる実験だと思いますが、方向性としては、奥田さんがおっしゃったように、感じる力をどうすればより豊かにできるのか、より能動的に感じるためには、相手が発信しようとすることを受け止めようとする姿勢が大切なのだと思うのです。様々な経験を通じて感性が高まっていくのがSTEAM教育だと思っていて、それをどうするのかが、これからのとても重要な挑戦です。そう簡単に答えは出ないだろうし、答えも一つではない可能性もあります。STEAM教育の「A」は精神的な目標かもしれません。若い人たちに我々の大事だと思うことを伝えたいのですが、先ほど申し上げたような枠組みの中でのコミュニケーションだけではなくて、伝えたい人のパッションがどう伝わるのか、いかに受け止めてもらえるのか、受け止める側の装置が大きくなれば、発信側の表現能力も向上するでしょう。
先日、先端研で音楽家や音楽高校の生徒さんが参加するSTEAM教育についての対談で、来場した高校生から非常に印象的な発言がありました。要約すると「私たちはアートを積極的に行うことによって自己表現がより良く、より自由にできるようになる。自己表現が出来る人は、他人の表現も受け入れることが出来る。これが多様性に繋がる」という発言でしたが、まさにSTEAM教育の「A」が目指すところなのだろうと思いました。あとはそれをいかに実装できるか、もしくは世の中をそうしたところまで持っていけるのか、ここが挑戦なのかなと思っています。

(後半へ続く)

本編短尺動画

杉山正和

東京大学先端科学技術研究センター所長、工学博士
杉山正和

1972年生まれ。専門はエネルギーシステム分野。2000年、東京大学大学院工学系研究科化学システム工学専攻博士課程修了。博士(工学)。2016年、東京大学大学院工学系研究科教授、2017年より東京大学先端科学技術研究センター教授、2022年4月より所長を務める。

田中彩子

ソプラノ歌手、Japan MEP / 代表理事
田中彩子

18歳で単身ウィーンに留学。 22歳のとき、スイスベルン州立歌劇場にて同劇場日本人初、且つ最年少でのソリストデビューを飾る。その後ウィーンをはじめロンドン、パリ、ブエノス・アイレス等世界で活躍の場を広げている。「コロラトゥーラソプラノとオーケストラの為の5つのサークルソング」でアルゼンチン最優秀初演賞を受賞。同アルバムは英国BBCクラシック専門音楽誌にて5つ星に評された。
UNESCOやオーストリア政府の後援によりウィーンで開催されている青少年演奏者支援を目的としたSCL国際青少年音楽祭や、アルゼンチン政府が支援し様々な人種や家庭環境で育った青少年に音楽を通して教育を施す目的で設立されたアルゼンチン国立青少年オーケストラとも共演するなど、社会貢献活動にも携わっている。
2019年 Newsweek誌 「世界が尊敬する日本人100」 に選出。2022年10月22日に行われた、日本のプロ野球チームの頂点を決める「SMBC日本シリーズ2022」の開幕セレモニーでは国歌斉唱を務めた。
京都府出身、ウィーン在住。