ビジネスとアートの共創
第3回「イノベーション×創造力」(前半)
2023.7.27
奥田:本日は日本のイノベーション研究の第一人者である米倉誠一郎先生をスペシャルゲストとしてお迎えしています。先生は多くのイノベーターの育成にも注力されており、前回この企画に登場いただいた三輪さんも米倉先生が見いだされた方の一人です。さらに、大学で教鞭を執られることにとどまらず、企業の社外取締役として企業経営のアドバイスもされておられます。それでは、早速、田中さんにバトンタッチをして、対談をスタートしたいと思います。よろしくお願いします。
イノベーションは目的ではなく手段なのです。問題の本質は、何をしたいのか、何をしなければならないのか、ということです。「みんなでイノベーションをやろう」といって、その気になっているのが最もいけないことです。(米倉)
田中:米倉先生の著書「イノベーターたちの日本史」を拝読いたしました。私は中学、高校時代に日本史が苦手で、あまり勉強してきませんでしたが、今になって勉強する機会をいただき、「人生はうまくできているな」と思いました(笑)。本の中では想像もできないことが起こっていて、「なぜ学生時代はこんなにも面白い歴史を面白くないと感じたのだろう?」と思いながら、楽しく読ませていただきました。当初、イノベーションという単語を聞いても私のような音楽家とは接点がない印象がありました。でも、本を読み進めていくうちに、「イノベーション」とはそもそも何か?と思うようになりました。まずはその点について、お聞かせください。
米倉:いきなり直球ですね(笑)。イノベーションとは、「社会・経済・思考課題解決に関してこれまでにないような価値や方法論を提供すること」だと思います。したがって、大事なのは「社会や経済そして考え方に関する課題が先にあること」です。最近、「イノベーション」をやろう、「イノベーティブな組織」になろうなどと叫ばれているのですが、これらの表現はイノベーションが目的となっています。したがって、最近の僕は逆に「イノベーションは不要」、「イノベーティブな組織にならなくて良い」と言うようにしています(笑)。問題の本質は、「どんな課題を解決したいのか、何をしなければならないのか」であって、イノベーションをすることではないのです。例えば、企業がより高い賃金を払いたい、更なるグローバルシェアを伸ばしたい、これまで無理だと思われてきた環境調和と経済活動を両立させたいなど、実現したい課題設定が先だということです。こうした課題に対して斬新な工夫や、新たな発想、異なるものを組み合わせることを通じて新しい価値・方法論を創造したプロセスを、後から人々が見て「これはイノベーションだ」と評価するのがイノベーションです。にもかかわらず、現状では「イノベーションをやらなくてはならない」、とイノベーションが目的語になっているのが残念です。何がしたいのかを明確にすること、ここが今の日本に欠落している大きな問題だと思います。繰り返しですが、イノベーションは目的ではなく手段ですから、なるべく「イノベーションしよう」とは言わないことが大切です。
我々はイノベーションを起こすために生きているのではなく、より良い生活や、より良い地球環境と経済の両立など大きなものを作るために生きている(米倉)
奥田:目的に対して、自分で考えてかたちを創り出す、それ自体がイノベーションマインドだという気がします。そういう理解でしょうか。
米倉:そうですね。目的に対して、従来の手法で取り組んでも上手くいかなかったり、他者と差別化できないときに、自分で考えて違う方法を産み出す、それを他の人が見て「イノベーティブだ」となるのです。僕の感覚では「イノベーションをやるやる」と言って実行できた人や会社はないと思います。本にも書きましたが、明治維新はやはり大変なイノベーションでした。「デモクラシー」を翻訳するには、人が中心だから「民主主義」としました。「バンク」の翻訳は、日本でコインを作っていた「銀座」がありましたが、「座」では動きがないので、「行」にして「銀行」と翻訳するなど、一つひとつ自分たちで考え出して、自らの血とし肉としたのです。したがって、福澤諭吉の「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」は実にイノベーティブな表現です。当時の近代化とは現代の言葉で表現すれば、OSを入れ替えるような作業でした。後から見れば、これらはイノベーティブであったと思いますが、当時の彼らは、まず独立できるかどうかという問題に迫られ、植民地的な諸外国と対等に付き合うことが目先の課題でした。そのためには、維新の立役者である武士階級の俸禄を廃止し、日本独自の兌換貨幣を創出し、さらに主体性のある国家主体を確立するために民主主義を導入して憲法をつくるというのが目的でした。その目的に対して色々工夫したのが明治維新です。
明治維新は、西洋的な観点から見ると一風変わった市民革命でした。本来であれば、一掃されるはずの封建制度の一部である下級武士が明治維新を遂行しました。これは西洋の規範とは全く違います。あらためて考えてみれば、違うに決まっているのです。違うことをやらないと生きていけなかったのですから。しかし日本の戦前の古い論争を見ると、このヨーロッパとの「違い」を「遅れている」と勘違いしていたようです。「違う」ことは「遅れている」ことではありません。今となれば優れた点もありましたし、ギャップを見つけて埋めていくことで新しいやり方が出来るようになったといえます。例えば、維新の功労者として残存した武士たちを解体するのに、その身分を買い取って撤廃したというのは、今から見れば物凄くイノベーティブなことでした。遅れていたのではなく、違っていたからイノベーションが起きたのです。それがこの本で書きたかったことです。我々はイノベーションを起こすために生きているのではなく、より良い生活や、より良い地球環境と経済の両立など大きな課題を解決するために生きているのです。
田中:私の音楽世界の仲間うちでは、新しい手法や、今までやったことのないデュオなどをすると「エフェクト・メディチ」だねという言い方をするのですが、それとイノベーションは何が違うのだろうと思いますが、いかがでしょうか。
米倉:同じですよ。新しいことをやろうとした時に色々なことを組み合わせるということですよね。クラシックには長い時間をかけて出来上がった規範がありますが、その中で演者が伝えたいことのために、解釈の組み合わせで冒険をする。テンポや強弱を変えたり、時には音色まで変えてみせる。これはまさにイノベーションで凄いことだと思います。昔できた譜面の中に新しい思い、先ほどの言葉で言えば目的を見出す。そうしたクラシック音楽のイノベーションは興味があります。
田中:それは小さいイノベーションですね。
米倉:いや、大きいですよ。田中さんの声を聞いても、あれ?これまでとはまったく違うなと思います。先日、飛行機に乗った際に、同じ曲を違う指揮者が指揮する聴き比べというプログラムがあったのですが、同じ曲でもこれほど異なるのだと感心しました。限られた範囲で新しいことをするのはすごく面白いし難しいと思います。重要なことは、音楽家でも何か変わったことをやってやろう、イノベーティブなことをしようという人よりは、純粋に自分の感じるもの、伝えたいものを演奏に託した人が評価されると思います。目的が先だと思います。
大企業がジレンマで動くことが出来ずにいるときに、横のシリコンバレーから「バカみたいだね」というようにChat GPTが出てくるから面白いですよね。こういうダイナミズムが日本にもほしい。(米倉)
奥田:私はクラシック音楽のイノベーションと、企業のイノベーションは似ていると思っています。クラシック音楽は五線譜に縛られ、昔に書かれた曲からは大きく外れることができませんが、その中で工夫して自分を表現します。企業も投資家目線の財務諸表に縛られます。この規範を破ると、誰も投資してくれずに企業は潰れてしまいます。そのため常に財務諸表のパフォーマンスを一定以上に上げて、健全性、収益性、儲ける力も一定以上にした状態で、新しい価値を創り出さなければなりません。こうした見方から考えれば、ほぼ同じなのではと思っています。
米倉:なるほど、まさにオーケストレーションですね。いろいろな分野の事業があり、社長は指揮者であって、指揮者が変われば曲想は変わるということですね。例えば、タクトを振らなければならない大企業がジレンマで動くことが出来ずにいるときに、シリコンバレーからスッと出てきて横から抜いていく、というのが出てくるから面白いですよね。今はチャットGPTが出てきました。リリースから3ヶ月で10億人が利用しているそうです。うちの学生たちもレポート作成に活用してくるのだと思います。精度も上がっているので、今まではGoogleで検索していましたが、今後はチャットGPTで対話しながら新しいものを作っていくことができる。もしかするとGoogleでの検索は不要となるかもしれません。こうした時代がこれほど早く来るとは思いませんでした。こうした事例のように、日本企業の何倍もあるGoogleやMicrosoftのような巨大企業が全体最適を求めてタクトを振っている時に、横の方から「バカみたいだね」と言って新しいものがポロっと出てくる、こういうダイナミズムが日本にも欲しいですね。
田中:本を読んでいて、ビジネスの世界でも創造的破壊(a creative destruction)をメインにして、変化への順応(an adaptive response)や創造的な対応(a creative response)が行われていることは、まさに私たちがクラシックの世界で毎日やっていることではないかと思いました。クラシックとビジネスの関係はいつも面白いなと思います。
米倉:なるほど、似てますね。ビジネスでもクラシックでも奥田さん仰ったようにほぼ定型規範は出来上がっています。今まで通りの延長線上で「順応」していくのか、「え?そうくるの?」という「創造的対応」をするかですね。
スティーブ・ジョブズはiPhoneを初めて世に出した際、本体四隅の真鍮のカーブにとてもこだわった。「安さ」と「クオリティ」以外に「意味的価値」の軸が重要になってきています。(米倉)
奥田:前回の対談でもお話ししたのですが、私が四半世紀以上前にヨーロッパで仕事をしていて最も驚いたのは、アメリカとは全く違う価値観だったことです。訪問したある自動車メーカーでは、先進国の5%の人たちだけに好かれる車を作るのだと言いました。そのために例えばドアを閉めた時の音や、エンジン音を磨き、それらは機械では磨けないから手仕事で仕上げる、その最後の10分の手仕事で200~300万高く売れる、それを価値にするのだと言います。当時の日本では往年の米国のように機械化による大量生産で効率を上げて価格競争力を高めることが経営の中心課題だったので、この話は衝撃的でした。日本人は価値の付け方をあまり意識してこなかった。良いモノは安く売る、これが命題だと思い込まされてきた歴史があり、そうした歴史の中で生きてきたからこそ、価値を付けることや、価値創造経営、イノベーションという言葉の意味がなかなか理解できなかったのではないかと感じます。
田中:日本人のメンタリティは「いやいや私なんて…」と一歩引く感覚があるので、そうした考え方になるのでしょうか。「私はここがいいと思うので、高くても売れます」というメンタリティは日本人には多分なくて、自分を小さく見せるようにすることから来るのでしょうか。
米倉:そういう謙虚な部分もあるのでしょう。僕が面白いと思うのは、国際会議などで日本人は「日本人は競争や喧嘩が嫌い」と平気な顔をして発言する人います。しかし、海外から見ると「ほとんどの産業において、先に喧嘩売ってきたのは日本人じゃないか」となります(笑)。日本人にとってそれは、喧嘩ではなく生き残るための歴史だったのです。故障もせず大衆が大歓迎したカローラは、BMWの半分あるいは三分の一の値段で造れるというのが、我々が先ほど言っていた日本人の正義そして解釈の冒険だったわけです。しかし、これは時代とともにシフトします。いかに選ばれるモノを作る・造る・創るかという基準は変わります。かつて、日本人は安さとクオリティの二軸さえあれば大丈夫だと思ってきたのですが、どうも違う軸がある。それは見えざる「意味的価値」というものなのでしょう。
例えばAppleのスティーブ・ジョブズ氏がiPhoneを世に出した際、本体四隅のカーブにとてもこだわったそうです。別に電話やインターネットに繋がれば良いのですが、ジョブズ氏はこの感触がなければAppleのマシンじゃないのだと。そこに価値があると理解できるようになった日本社会も成熟したのでしょう、その意味でまだまだヨーロッパに学ぶものがあります。イタリアは日本より生産性が高く、生産性時給で言うと15ドルも高い。なぜ彼らの生産性が高いのだろうと見ていくと、「強いものに価格をつけている」ことが分かります。例えば高級車と言えば、フェラーリ、ランボルギーニ、アルファロメオ、マセラッティなどと回答する人が多いと思いますが、いずれもイタリア車です。ファッション製品で人気があるのは、グッチ、プラダ、アルマーニが強いと思います。日本車も凄いけれど、高級車マーケットで戦えるのはレクサスぐらいでしょう。成熟した社会の中で価値を作るという点では彼らが先を歩いています。かつてイタリア車も日本車に席巻されるなど苦しい思いもしたと思いますが、それがここへきて変わってきたなという気がします。時代が新しい価値基準を必要としていることに気づいたのでしょう。
奥田:職人文化の世界ですね。職人のセンスは芸術的なセンスであり、これがあるから強いのでしょう。アメリカはそれとはまた異なり、新しい技術、デジタルのところで価値を産み出そうとしています。一方でイタリアは、もともと持っている職人センスと職人技の部分で価値をつけています。異なるアプローチですが、新しい価値を付けるという点で共通していて、どちらもイノベーションですね。
米倉:日本にも凄い職人はたくさんいます。このあたりをもう少し活かしていかないと。やはり同じことばかりしていたら負けてしまいます。
奥田:田中さんが活躍をされている芸術の世界、特にクラシック音楽は皆が同じ楽譜を持って同じ曲を歌います。そこで何を出すか、何を作るかを絶えず考えていて、これはイタリアの職人がセンスを生かして価値を付けることと全く同じです。クラシックの中で行われているような価値創造のセンスを経営者として企業に入れなければならないと思っています。例えば、田中さんが歌う「夜の女王」と、他の歌手が歌う「夜の女王」では明らかに価値に違いがあって、田中さんがコンサートで歌うと違う値段が付きます。どちらも同じ楽譜を持った「夜の女王」ですが、違うものですね。これをもっと学ばなければならないのだと思います。
エネルギーの価値は差別化しにくいのですが、価値の細分化、見える化を進めないとこのビジネスの将来性はないと思っています。(奥田)
奥田:エネルギーの価値は差別化しにくいと感じられていると思います。しかし、私は電気に価値をつけて細分化することが大切な時代になってきていると感じています。電気はメーターを取り付けて計り売りをしてきました。ここから脱却しないと、このビジネスの将来性はないと思っています。例えば、再生可能エネルギーは環境価値が高いのですが、自然条件で発電出力が変動するため、安定性という価値や、自らの出力をコントロール出来ないので、柔軟性の価値を持っていません。私たちが火力で発電する電気は、CO2を排出するため環境価値は低いものの、柔軟性価値や自らコントロールできる価値、安定性といった価値を持ちます。これらの価値をマーケットで売る仕組みを作れるかどうかが勝負だと思っています。最新のデジタル技術を活用して、どの発電所でどのような価値の電気が発電されるのかが紐付けできるようになってきています。こうしたところにチャレンジをしていかなければならないと思っています。
米倉:屋根の上に太陽光パネルを乗せていると、いまの発電量が見えるようになりますよね。これがより細分化され、ベースとしての火力発電や、そこに乗ってくる再生可能エネルギーの電気など、自分たちが使うエネルギーを見える化することはとても面白い発想ですね。自然と省エネや再エネの価値に目が向いていきます。
奥田:太陽光発電が天候によって出力がどれほど変動するか見えるようになると、この変動を何かでカバーしないと電気が使えないことが伝わるようになると思います。太陽光だけで電気が使えるように誤解させてしまっている今のシステムには相当問題があって、何かで補わない限り電気は使えません。今は火力発電がその変動を補っているのです。そうしたことを見える化すれば、火力発電が価値を産み出していることへの理解が進みます。さらに、その火力発電のCO2を減らすことができれば、火力発電にも環境価値が付くようになります。アンモニアや水素を燃料にした火力発電によって、ゼロエミッションという価値が乗ってくるのです。この見える化によってエネルギー事業、電力事業はガラッと変わると思います。私はこの価値化されていないものを価値化していく点をイノベーションだと思っており、とても大切なポイントだと考えています。
クリーンなエネルギーがあるということや、日常の電力使用量を抑えようと言われても、大半の人はピンとこないので、見える化していただけると、とても助かります。(田中)
田中:私のような素人にも分かりやすいです。自分がどれくらいのエネルギーを必要としていて、どの程度使っているかということに加えて、クリーンなエネルギーがあるということや、日常の電力使用量を抑えようと言われてもピンとこない点もあると思うので、見える化していただけると、とても助かると思います。
米倉:見えるようにすることは本当に面白いことだと思います。有名な「タニタの減量法」は計測して記録するだけです。人間は記録すると意識が集中します。同じく見える化することによって、JERAの価値が見えるようになるだけではなく、基本的には節電に意識が向かうと思います。タニタの減量法の話ですが、現社長の父親が機械好きで、ネットに繋がる体重計を開発したのですが、時期が早すぎて売れずに在庫の山になり、社員に配布して処分したそうです。ただ、配った体重計のデータを集約化し本社に蓄積したところ、社員全体の体つきが変わり、病気の発生も減少、保険料も下がったことが分かったそうです。見えるようにすることには効果があるということです。同じように、電力の使用・内容を見えるようにすることは、新しい節電方法になるのではと思います。田中さんが言われているように、節電と言われても面倒と思う人が、見えるようになるだけで効果が出るようになると思います。これは「クリエイティブ・レスポンス」ですね。節電方法を説明しろとか、電気を消せとか難しいことを言っている時に、「いやいや、見えるだけでいいんですよ」という手を打つ。これはきっとイノベーションですね。
自分の強いところをもって、あえて楽ではない世界で他流試合をする。これは凄いこと。それをやっている田中さんから勇気をもらいました(米倉)
米倉:日本には職人たちが非常に良いクオリティを持ち、しかも安く作れる。これはもう揺るぎない価値です。これをどうやって高く売れるかという次元の競争が始まったのですから、今度は違う視点を持ってくることだと思います。田中さんは、手が小さいのでピアノから歌という選択をされた。さらに他の楽器ではお金もかかるところ、声ならば自分だけでもできるかもしれない。さらに声といっても他と違う音域を武器にされて、音楽の本場ヨーロッパで戦われている。これは本当に凄いことだと思います。決して楽で簡単ではない世界に身を置かれている。日本企業は、自分の強いところを持って他流試合をもっともっとしていかなければならないと思います。だから本当に勇気をもらいました。
田中:ありがとうございます。
「火力のゼロエミッション化」を打ち出すことで、発電所で働く社員がイノベーションの担い手になるのは、明治維新の改革で士族が起業家や官僚になっていくのに似ているなと感じます。自分の技術や知識が活かせる分野だと凄い強さを発揮するのです。(奥田)
奥田:先生の本の話に戻りますが、明治維新の改革では、士族の方たちが企業家になったりする、これはすごいことだと思います。私は本を読むまであまり知らなかったのですが、士族の方々の知識の蓄えや、外圧に対する情報感受性がきちんと備わっていたから、彼らは変わることが出来たのだと思います。
日本はここ数年間ずっと脱炭素で責められています。「日本はまだ火力発電で電気を作るのか、ヨーロッパは原子力も停止するし石炭も全廃する。「電源の脱炭素=再生可能エネルギー(再エネ)」だ」と主張されているのです。しかし、ヨーロッパもまだ再エネで電気を100%賄えていない中で、本当にそれがベストな選択かと疑問に思うわけです。目的は再エネの普及ではなく脱炭素なはず。ならば二酸化炭素を減らせばいいのであって、火力発電でもCO2が出ないようにすればいいのだろうと思い検討を始めました。そこはJERAにとって大きな分かれ道だったと思います。
社内に向けて「JERAもこれからは再エネを選択するので、申し訳ないが火力発電はもう無理なんだ、人も抱えられない」と言ったら、一瞬にしてモチベーションはなくなります。でも「我々が書いたプランはそうではないんだ、火力発電のゼロエミッション化と再エネを組み合わせて、脱炭素を目指すんだ」と言った時に、社内のモチベーションがうんと上がりました。そうなると、色々なアイデアが出てきます。先生の本にあるような。士族が起業家や官僚になっていくのと似ているのかなと思っていて、自分の技術や知識が活かせる分野だと凄い強さを発揮するのです。アンモニアにはこんなに良いことがあるとか、俺たちはアンモニアの取り扱いに慣れているよとか、どんどん出てきて僕も自信をもらって、よしアンモニアで行こうかとなるわけです。この瞬間の楽しさが、私は働いている醍醐味だなと思います。
米倉:まさにあるものをいかに活かすか、強いところをいかに強くするか、ということですね。ぜひJERAに頑張ってほしいのは、ヨーロッパの脱炭素は強敵で、「再エネ100%をやってない奴はダメ」という主張ですよね。だから、日本としてぜひ言ってほしいのは、今の流れでいくとアフリカ、バングラデシュ、インドなどは停電していてもいいという世界観を放置することになるということです。だから日本は脱炭素という目指すところは同じだけれども、世界中の人々がより良い暮らしへスムーズに移行するためには、まさにトランジショナルなテクノロジー開発をしている、そこをJERAがやるのだと強く主張して欲しいです。再エネをできるところだけが良くなるのではなく、「誰一人取り残さずに」世界全体を引っ張っていくテクノロジーをJERAは提供するというスタンスは、世界から賞賛を受けると思います。
柔軟な発想を取り入れられるかという観点はとても大きいですね。ピンチをチャンスに、別角度から見ることができるか、そうした観点は大きな分かれ道になるのだなと思います。(田中)
田中:お話を聞いていると、柔軟な発想を取り入れられるかという観点はとても大きいですね。それこそ欧米から脱炭素と言われて火力発電を止める選択肢を取り得る流れもある、と思いましたが、ここで使い方を変えればいいじゃないか、と見方を変えられるのは柔軟性があるからだと思いました。私は手が小さくてピアノを辞めましたが、今考えれば1オクターブ以上が必要ない曲は弾けたわけです。むしろ私は速く弾くのが得意だったので、「1オクターブ以上が必要な曲は弾かない」という選択をしていれば、その道で進んでいたかもしれません。当時の常識は、ピアニストとして何でも弾けないといけない、1オクターブ以上は絶対弾けないとダメだ、というのがどこかにあったので、あきらめてしまいましたが、今思えばもったいなかったなとも思います。ピンチをチャンスに、別角度から見ることができるか、そうした観点は大きな分かれ道になるのだなと思いました。
米倉:そうですね。1オクターブ以内でベストプレイヤーになる選択肢も面白いですね。どちらかと言えば、今の日本は世界の基準は何だろうか、だからそれをやるとか、そういう選択をしなければならないとなっているの点が気になりますね。田中さんが言うように発想を柔軟にして、できる分野でベストを尽くす手があると言われると、そうだなと思います。そういうところでも、我々は柔軟性を失っているのかなと思いますね。
最近よくダイバーシティーを耳にしますが、様々な人々と一緒にいる中で、「受け入れる」という表現にとても違和感があります。「あなたはそうなのね。私はこうです。」と言えることがもう一つ大事なこと。柔軟になれるけども、芯が大事なのだと思います。(田中)
田中:お二人のように素晴らしいお立場にあられますが、それこそガチガチに固められそうな場所におられるのに柔軟を保っておられる、その秘訣は何でしょうか。
奥田:個人的な体験からお話をすると、仕事以外のことをたくさん経験することだと思います。仕事中で触れ合う価値観は、どうしても限定されてしまいます。私自身はその生活だけでは満足しない方なので、週末はクラシックのコンサートや、スポーツ観戦、美術館や博物館に足を運びます。そうしたところで自分と違う世界に生きている人や価値観に触れ合うことで、ダイバーシティー&インクルージョン、他の価値観を受け入れる受容性が高まると思います。それが結果して柔軟な思考に繋がっているのではないかと感じています。
田中:今お話を伺って、最近よくダイバーシティーを耳にしますが、様々な人々と一緒にいる中で、「受け入れる」という表現にとても違和感があって、その人はその人で良いのであって、受け入れる必要まではないのではと思います。
奥田:「同化」するわけではなく、「違うものとして理解する」ということだと思います。そこが大事なのに、「みんな一緒にならなければいけない」「みんな公平にならなければいけない」と日本人は間違えているところがあると思います。違うものだと理解をするということがとても大事なことだと思います。
田中:そうしたものと触れたときに自分がどう反応するかは、やはり、色々なものを見て、色々な経験をすること、そして、自分自身に良い意味での自信があるからこそ、何が起きても「あなたはそうなのね。私はこうです。」と言えることがもう一つ大事なのかなと聞いていて思いました。だからこそ、柔軟になれるけども、芯が大事なのだと思います。
(後半へ続く)
一橋大学名誉教授・法政大学大学院教授
米倉誠一郎
1953年生まれ。専門は経営史。一橋大学社会学部・経済学部卒、同大学大学院社会学研究科修士課程修了。ハーバード大学歴史学博士号取得(PhD.)。現在、一般社団法人Creative Response Social Innovation School学長、一橋ビジネスレビュー編集委員長も兼務。イノベーションを核とした企業の経営戦略と発展プロセス、組織の史的研究を専門とし、多くの経営者から熱い支持を受けている。著書に『イノベーターたちの日本史:近代日本の創造的対応』(東洋経済新報社)など。
ソプラノ歌手、Japan MEP / 代表理事
田中彩子
18歳で単身ウィーンに留学。 22歳のとき、スイスベルン州立歌劇場にて同劇場日本人初、且つ最年少でのソリストデビューを飾る。その後ウィーンをはじめロンドン、パリ、ブエノス・アイレス等世界で活躍の場を広げている。「コロラトゥーラソプラノとオーケストラの為の5つのサークルソング」でアルゼンチン最優秀初演賞を受賞。同アルバムは英国BBCクラシック専門音楽誌にて5つ星に評された。
UNESCOやオーストリア政府の後援によりウィーンで開催されている青少年演奏者支援を目的としたSCL国際青少年音楽祭や、アルゼンチン政府が支援し様々な人種や家庭環境で育った青少年に音楽を通して教育を施す目的で設立されたアルゼンチン国立青少年オーケストラとも共演するなど、社会貢献活動にも携わっている。
2019年 Newsweek誌 「世界が尊敬する日本人100」 に選出。2022年10月22日に行われた、日本のプロ野球チームの頂点を決める「SMBC日本シリーズ2022」の開幕セレモニーでは国歌斉唱を務めた。
京都府出身、ウィーン在住。