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ビジネスとアートの共創
第2回「教育×創造力」(後半)

2023.6.12

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最近、苦手なものを隠さずにプレゼンテーションして共感してもらうという、新しいプレゼンテーションができるようになりました(三輪)

三輪:自分語りになりますが、最近、「趣味はプレゼンテーション」と書けるほどにプレゼンが大好きになりました。起業家のプレゼン大会に出ても準優勝は何度かしたのですが、どうしても1番になれないと悩んでいた時に、バングラデシュでテロ事件があり、心と体に病気を患い2ヶ月の間、仕事から離れました。その約3ヶ月後にプレゼンの大会に出場し、人生で初めてプレゼンで1位になり、『100%共感プレゼン』という本まで出版しています。その時、自分にはこれまでの失敗経験があったので、苦手なものを隠さずにプレゼンをするという、新しいスタイルのプレゼンができるようになりました。プレゼンは、人生のすべてを乗せて表現できる企業家、経営者に許された自己表現のツールの1つだと思います。100点満点のものを作りに行くスタイルよりも、100点を取らない方法が許される世界だということを本に書きました。苦手ではなく、失敗したからこそ得られてきたものがあり、その積み重ねで壁を破る方法を持つことができたのかもしれません。壁を破ることは、アートの世界と、我々のNPOやプレゼンの世界でもそれほど相違はないのかなと感じました。

プレゼンや仕事の場で相手の気持ちを考えるという行為は、音楽にとても似ています。私は歌う時は無心です。無心であればその曲の気持ちが体に入り、音色として出ていく。それを受け取った人々は、自分の中の経験と重ね合わせて感情移入できるのです(田中)

田中:プレゼンや仕事の場で、相手の気持ちを考えるという行為自体、音楽にとても似ていると私は思います。私は「音楽は感情そのもの」だと思います。音色は感情の色だと感じます。だからこそ感情豊かなほどいろんな音色が出せますし、その音色に感情を乗せられれば乗せるほど、いろんな人の心に届くと思っています。今お聞きしていて、ビジネスの世界でもいろんな感情を自分の中で持っていればいるほど、プレゼン等で人に伝わりやすいのかな、と聞いていました。

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三輪:プレゼン大会で優勝した当時の会場の光景を鮮明に覚えています。私の苦しい時代の話をしたところ、目の前にいる人たちがほとんど同じような表情、おそらく話をしている私と同じ表情をしていたことを今でもはっきり覚えています。私のバングラデシュで苦しかった時のことや、大切な人と別れた体験を思い浮かべながら話していたのですが、目の前にいる人達はその光景を見ることはなくとも、同じ顔をしていたということは、少なからず似たような経験をされていて、その人にとって大切な思い出と僕の思い出には、実は接点があったということを確かに感じることができた瞬間でした。聞いている方の人生を考えながら話をするのは難しいと思いつつ、願いのようなものを込めました。いまe-Educationでお世話になっている先生にも、生徒に話をする際には「願いを込めて話してください」と話しています。

三輪:田中さんは歌い始める前や、歌っている最中は、何を思いながら声を出されているのか、とても興味があります。

田中:何も考えないというのが答えです。例えば禅のように無心に落とすのです。曲には恋愛や、大切な人を失う、単に楽しいなど物語が込められています。自分が無心でいればその曲の感情が降りてくるのです。自分に曲中の体験がなかったとしても、無心であればその曲の気持ちが体に入り、そこから音色として出ていく。それを受け取った人々は、自分の中の経験と重ね合わせて感情移入ができる。今お話のあったプレゼンも、音楽と一緒だなと思って聞いていました。

私が途上国に惹かれて止まないのは、彼らの人生そのものが本当に美しく、希望だと思うから。日本人も彼らから学ぶ日が来ると思います。(三輪)

三輪:すごい境地ですね。私が途上国に惹かれて止まないのは、彼らの人生そのものが本当に美しく、希望だと思うところがあります。そのため、彼らに大学へ入学してほしいと思いはしますが、それはあくまでスタートで、結果として、彼らが自分を表現できるようになり、自分の夢を叶えられるようになっていければ、この世界全体が豊かになると思っています。最終的には我々日本人も彼らから学ぶ日は必ず来るだろうと確信を持ってやっています。田中さんはアルゼンチンの青少年に音楽の魅力を伝える活動をされていますが、その子たちにしか出せない音色もあるのだろうと思います。それは彼らの人生、人格、経験が乗るから豊かな音色になるのかなと思いました。アルゼンチンの子たちが音楽と触れて、その先にどのような未来があるのかとても気になっています。彼ら彼女たちが日本に来る経験も含めて、田中さんが今アルゼンチンの子たちと一緒に叶えたい未来はどのようなものか、教えていただきたいです。

アルゼンチン国立青少年オーケストラの活動では、人間の根本的な部分である「感情」を、芸術・音楽の中で豊かに育てていくことがメインテーマだと思います。そして、みんなで歩幅を合わせる部分と、自己主張をして自由にやってもいいというタイミングと、両方を存分に楽しむことも大切だと思います(田中)

田中:アルゼンチンと名がついていますが、ペルーやベネズエラなど南米のいろいろなところから来ています。そこの中でいるだけで、たくさんの感情を育てることができる環境に置かれていると思います。彼、彼女らは、大人になった時に必ずしも音楽家になるわけではありませんが、音楽教育の中で学んだ事は社会に出てもとても役に立つことがあると思います。オーケストラは特に人数も多く、様々な国籍や環境で育った子たちが、一つの同じ目標を目指すことは簡単ではありません。そういった団体行動の中で、自分はこうしたいという意志を持ちながらも皆と歩調を合わせ、得意・不得意をお互いサポートしながら練習を重ね、最終的に皆でベストな完成を目指す。こういった学びは学校での単純な暗記テストとは異なるため、脳を成長させるための非常に重要な役割であると思います。なにより感情が豊かになるという部分を芸術という枠の中で育てていくのが非常に重要なメインテーマだと思っています。アルゼンチン国立青少年オーケストラは様々な国籍や階層の子たちが学ぶことが多いと思いますし、その子たちしか出せない特別な音色が出せると思います。その中で何人かの子たちは、今まで聞いたことがない音が出たときに、どうしてだろうと考えて、育った場所や練習方法などいろいろなことに気が付き、そこからまた様々な感情が湧いてという大事なことを吸収してくれるのだと思います。

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三輪:オーケストラは一つ物を作り上げるという意味で、みんなの意識を整えていくバランスも難しいのではないかと思います。

田中:みんなで歩幅を合わせる部分と、自己主張をして自由にやっても良いというタイミングと、両方を存分に楽しむことも大切なことだと思います。

奥田:アルゼンチン国立オーケストラは本当に聞いてみたいと思っています。日本は非常に同質性が強い社会で、平均的に豊かな人たちが、各々技術を磨き、オーケストラを作って音を奏でる。そこから出る音と、アルゼンチンのようにさまざまな階層、国籍の人が集まって奏でる音は絶対に違うと思います。普通に弾いても違う音が出ていて、オーケストラとしてまとまったときに、どんな面白いことが起こるのか、とてもワクワクしますね。これから私が企業人、経営者として会社の中でワクワクするようなことを起こしていきたいという感覚と一致します。
企業は、平均的な商品を効率的に作っていればある一定レベルまでは成長しますが、その段階を過ぎると社会全体の構造を変えるような突き抜けた商品を作らないと成長できなくなってきます。もっと新しい個性的なものを生み出していかなければなりません。エネルギーはみな同じと思うかもしれませんが、電気も様々で、環境性に優れた電気、柔軟性に富んだ電気、その逆もあっていろいろな価値を持っています。こうしたものを世の中に次々と出そうとすると、同質性が高い組織では上手くいかないところがあり、これから私たち経営陣は、会社の中を作り変えるようなことにチャレンジしていくべきだと思っています。

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「まだ早い」は誉め言葉と思うようにしています(三輪)

田中:私は三輪さんの「まだ早い」というお話がとても好きです。私は「まだ早い」と言われると、「やります、今やります」と勢いで返す性格ですが、「まだ早い」という言葉は一発でその人のやる気を溶かす危険なワードだと思っています。

三輪:その「まだ早い」のエピソードをお話しします。e-Educationを立ち上げた2010年はバングラデシュが最貧国と呼ばれ、インターネットもなければ電気もそれ程充実していませんでした。その中で、JICAや国際機関がやるような小学生向けサポートではなく、高校生向けに最先端のテクノロジーを使ってサポートしたいと言った時、現地の人からも日本の人からも散々に「too early」(早すぎる)と言われました。そして今、ルワンダ教育省の方々に対してアドバイスさせていただく光栄な立場をいただいているのですが、バングラデシュで10年前にやってきたことをそのままルワンダでもやりたいと言ったら「もう遅い」と言われました。10年前には「まだ早い」と言われたことが、コロナの影響もありましたが、「もう遅い」と言われたときに、「まだ早い」はヒントの言葉だったのではとあらためて思いました。

田中:今でもまだ早かったと思われますか。

三輪:「まだ早い」ということは、いつか誰かがやることであって、誰かがやるのであれば、自分がやれば一番になれるということかと思います。だから10年前に戻っても、おそらく同じことをやると思います。「まだ早い」は褒め言葉に思うようにしていて、これからも淡々とやっていくのだと思います。

奥田:「まだ早い」が褒め言葉、それはとても良いですね。

三輪:日本人の感覚だと「まだ早い」は、止める、叱る、馬鹿にされる言葉かもしれませんが、2017年にスタートアップのメッカであるシリコンバレーやサンフランシスコに行った際、この活動の話をしたところ、手を打って「Wow! It’s too early!!」(めちゃくちゃ早くやったね!)と明らかに褒め言葉として言ってもらったことがありました。その時、私の頭の中でブレーキが壊れる音がして、「よし、もう二度とブレーキは踏まない」と思いました。

技術の進歩によって発展や成長の方法が様々であるにもかかわらず、この国の成長体験で物事を考える癖が自然に僕らについているというところ、それが「まだ早い」という言葉に繋がってしまうのだと思います。(奥田)

奥田:田中さんが「珍しい」を誉め言葉と受け取ったのと同様に、ポジティブに捉えていく気持ちはとても大事だということだと思います。ポジティブな意味で「too early」を使わない人というのは、自分の経験でしか物事を考えられない人だと思いました。つまり、日本はこの順番で成長してきたから、それが成長の常識であって、その常識からするとバングラデシュはそこまで達していないから「too early」だと、そう判断をしてしまうのでしょう。私の大好きな言葉に「常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことを言う」というアインシュタインの名言があります。結局、私たちが見て常識だと思っていることは、日本という小さな島国が歩んできた歴史の中で積み重ねられた常識で、世界に目を向ければ、発展の仕方は様々であるということです。産まれたときからインターネットが身近に存在する人と、私のように最初は黒電話しかなかった人では発展段階が全く異なります。日本の高度成長時代は、新幹線や高速道路を作るところからはじまり、電気も大規模な発電所を作り送電線で都会へ持ってくる、電話も電柱を立てで線を引っ張ってくる。それで社会インフラが作られ、そこを起点にして産業が誕生する、といった発展になりますが、いまは無線があるので電柱を立てて電話線を引く必要がありません。電気も、国内すべて電線で繋げる前に、ある程度は地産地消での完結を目指して、その地方で使える資源で発電して、不足分はバッテリーを置く、それでも足りなければ省エネなど、そうした発想でまずは電気のある生活を始められるのです。
技術の進歩によって発展や成長の方法が様々であるにもかかわらず、この国の成長体験や発展経験で物事を考える癖が自然に僕らについているというところ、それが「まだ早い」という言葉に繋がってしまうのだと思いました。人生も一緒で、自分が積み重ねた経験が成功体験だと思っている人は、すぐ「まだ早い」と言いますが、それは自分たちが選んできたのと全く違うところからスタートしている人からすると、理解ができないことだと思います。否定としての「まだ早い」は、明らかにそうした常識に囚われた人たちの発言だとして認識していくということなのでしょうね。

今アフリカ全土で「leapfrog(カエル飛び)」という言葉が流行しています。未来に向けて一気に飛び越えるという気持ちが漲っています。(三輪)

三輪:先月、ルワンダで「leapfrog」という言葉を散々聞いてきました。文字通り「カエル飛び」という言葉ですが、一足飛びで社会の常識が変わるようなイノベーションが生まれるときのことを、ルワンダの教育省の方々や高校生までが「leapfrog」という言葉で表現していました。今、アフリカは辺境ではなくこれからいろんなイノベーションが産まれるフロンティアだと思います。ビジネスで言うイノベーションの種というか、本当に世界が変わる、しかも不可能じゃない、その先にある未来をある程度描けていて、ただやっていないだけという。そこを今ルワンダ全体、アフリカ全土で進もうとしている予感がしています。アフリカは今、ほぼ全ての高校の先生がパソコンと最先端のタブレットを持つようになりました。今度は生徒たち皆にデバイスを持たせようとしており、私もアドバイスする立場で関わらせていただいています。紙の教科書がまだ5人に1人しか行き届いていない国において、紙の教科書はもう必要ないということになっているのです。

奥田:タブレットがあれば紙は不要ですよね。

三輪:ルワンダ自体は小国で、周りを大国に囲まれて紙の資源が無いらしいのです。そうした中で、紙を用意するよりもタブレットを配った方が実は安価だそうで、彼らは夢物語を描いているわけではなく、当然の帰着として全ての子どもがタブレットを持って勉強する未来を信じています。それなのに先進諸国の人は無理だと言っている。それに対して彼らは最近「leapfrog is here and now」(カエル跳びは今ここから生まれるよ)、という素敵な返し方をされていたのが強烈に印象に残っています。

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「leapfrog」の価値をわかるためには、一度頭を真っ白にして向き合う人間力が必要ですね。(奥田)

奥田:「leapfrog」の価値が分かるかどうかは企業経営者としてすごく大事だと思いました。ビジネスでもいったん頭を真っ白にして新しいビジネスやイノベーションの話を聞くことができるかが重要だと思っています。それができないと、同じところをずっと回っているだけの企業になってしまいます。

三輪:昔はイノベーションのことを「破壊的イノベーション」と表現していました。壁を壊すようなイメージでチャレンジをして、実際成功された方もいらっしゃいますが、今アフリカの人たちが思い描いているイノベーションは「leapfrog」、跳び越えるイメージです。カエルはジャンプするときに壁は見ていなくて、ただ遠くに行きたいから最も遠くに飛べる方法で跳んでみたら結果として壁も超えていた。壁があると思った瞬間に跳べなくなることと割と近い話かもしれません。奥田さんも「一度頭の中を真っ白にする」とは言いつつ、これまで経験に裏付けられた芸術やビジネスの知識など、積み重ねてきた土台があるので、ゼロには出来ない頑丈な土台を前に、それを超えようとする時には、さきほど田中さんがおっしゃった「透明なオブラート」で包んで見えなくすること、このプロセスは個人的には「leapfrog」を進めていく上でとても大事な視点だと思いました。

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奥田:頭の中をいったん真っ白にするということは、自分の感受性に立ち戻ることなのかもしれません。ビジネスにはいつも理屈が求められます。お金を貸してくれる金融機関や投資家などステークホルダーに、ある程度数字を使いながら理路整然とした説明が必要です。しかしそれを考えすぎてしまうと、新しい価値に対する探求心が弱っていきます。それでは世の中を変えられないわけで、いったん全部忘れて、自分の感受性だけで、目の前の投資案件を進めた先に広がる世界や、あるいはこの投資とあの投資と組み合わせたら社会がどのように変わるだろうか、といったことを私は自然に考えるようになっています。それがもしかすると「透明のオブラート」と似ている世界なのかなとか思いながら聞いていました。
企業には財務三表という成績表があり、企業はこれを良くしようと常に考えます。例えば、自己資本を手厚くすれば、企業はより健康体になれると考えます。でもこの自己資本に対する見方として、「自己資本はこの資本の範囲内だったらリスクを冒しても良い」と見るか、「自己資本に対して必ずきちんとリターンを返さなければ」と見るかは、人によって異なります。この差は割と大きくて、先ほどの「珍しい」をポジティブに捉えるかどうかと似ているところがあるなと思っています。今後の企業の新しい役割は、何か新しい価値を産み出し、それを社会に定着させるところまで来ているので、一定の範囲ならリスクを取っても良いと捉え直して投資をしていくことが社会から求められている。この辺りのマインドチェンジが重要かなと思います。

三輪:ルワンダの高校生がスマートフォンに入れているアプリを調べる機会がありました。FacebookやInstagramなどのSNSが入っていることは容易に想像ができたのですが、SNSを除いて最もダウンロードされていたのが仮想通貨のアプリでした。要するに、これで儲けようとしていると。その未来はさすがに見えていなくて、日本の高校生よりもはるかに進んでいるかもしれません。その時に自分も真っ白な目でルワンダの子たちを見ようとしていたにもかかわらず、彼らの天井のようなところを自分で決めてしまっていました。自分のスマホ一つでお金を稼ごうとしている高校生を見たときに、これも一つの「leapfrog」だなと思いました。しかも彼らは稼ごうとしている努力をしているわけでもありませんでした。指先一つでビジネスを始めようとしている、そういう意味でも新しい世界が見えたような気がしました。アートやビジネスの世界でも、我々の次の世代が、全く想像もしなかった方法での表現や、ビジネスを作っていく未来を見てみたいし、それを実現できる可能性があるのは「leapfrog」を信じて、子どもたちに伝えていく教育の力がありそうだと改めて思いを固めましたね。

奥田:全ての世代の人がその価値を分かるよう努力することはとても大事ですよね。自分の人生で積み重ねてきたものがあるから、どうしてもその中で判断してしまうところが出てきますが、そこでいったん白紙に戻せる力がこれから「人間力」として試されている時代だと思います。

「異国有我(異国にて我有り)」。海外でこの仕事を10年続けてようやく日本人らしさが見えてきました。(三輪)

三輪:私は教育に携わる人間として、今を生きる子たちの等身大の声が聞ける、これは本当に最高の恩恵だと思っています。強制的に頭の中を白紙に戻さなければならない業界にいると、自分の常識を少しずつ紐解くことや、無くすことが出来るのは、海外で教育をやっているからこそ感じられる、とっておきの経験なのだと思います。

奥田:海外に出ていくことの醍醐味はそこにあるのではと思います。同質性の強い日本の社会だけにいるとそれが分からないですよね。海外に行って経済の発展段階も文化も違うところに飛び込んでみると、全く違う価値観に気付かされます。それに近い体験を今、この対談からもさせていただいています。いかに頭の中を白紙にして、お二人の話を聞くかというところで戦っています。

三輪:バックパックをしている時に「異国有我」というような中国の諺に出会いました。異国にて我有り、異国を訪れることで初めて己自身を知る、という意味だそうで、この仕事を10年以上続けて海外にいるからこそ、ようやく日本人らしさのようなものが少しずつ見えてきました。田中さんは、日本にいた時間よりも海外にいる時間の方が長くなりつつある中で、見えてきた日本があるのではと思います。そして、細川ガラシャさんの演目を創られました。すごい切り口だと思いますが、なぜその発想に至って、描こうとしたのか、お伺いしたいです。

私も、欧州で細川ガラシャが自害した当時すぐにウィーンでオペラが作られたという話を聞いて、日本人たるもの、その生き様をオペラにしなければと思ったのです。(田中)

田中:日本文化の話でも西洋の音楽で表現できると常に思っていました。自分自身が西洋音楽を専門としていますので、これを通して日本を伝えたいという想いがずっとあった、というのがまず1つ。そして、細川ガラシャが自害した当時、日本にいた宣教師がウィーン・イエズス教会にその話を伝え、感銘を受けた神父様がすぐにガラシャを主人公としたオペラが作られました。当時の貴族たちがそのオペラを見てガラシャを認識し、マリー・アントワネットをはじめとしたハプスブルク帝国の貴族達を中心にヨーロッパに広がったという歴史はとても興味深く、これは日本人たるもの、もう一度やるべきであり、当時作られたオペラの再現ではなく、一から自分の手で作るオリジナルのものを創りたいと思いました。そして、ガラシャの生き様自体がヨーロッパの人から見て感情移入しやすい点が多い、という理由で彼女を選びました。

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三輪:世界で最も受験戦争が激しいのは日本と韓国らしいのですが、日本は世界各国から「受験大国」と見られていることを海外に出てから初めて知りました。日本は受験crazyな国というのは実は世界の常識になりつつあるけれど、なぜか日本人だけは知らないのです。こうした点を実感する唯一の手段は海外に出ることなのではと思いながら過ごしています。先ほどのマリー・アントワネットの話こそが、私は日本の受験大国の話と同様に感じられました。

奥田:私は海外赴任経験が1度しかありません。日本は日本なりの歪んだ見方で世界を見ているということに衝撃を受けました。当時企画部門にいたので、企業の戦略に興味があり、企業というのはいかに生産性を上げて効率を上げて儲けを大きくするか、アメリカが創った大量生産、大量消費の文化が勝負のポイントだという教育を受けてきました。それがグローバルスタンダードだと思っていました。そうした中で、あるドイツのビール会社に行きました。彼らは、先進国の限られたレストランにおいて高く売ることが目的で、大衆化してはダメなのだと。あの高級レストランに行けばうちのビールが飲める、こうしたブランディングで高く売って稼ぐ、万人受けする味にしてはならないと言うわけです。その後、同じ市にある自動車会社行った時も、同じような話を聞きました。1人あたり国民所得が2万ドル以上ある国の5%程度の人から愛される車を作ることが、ブランド価値と高付加価値を維持するのに必要なのだと言うのです。企業は、ひたすら生産性を上げて効率追求するのという価値観が、明らかにひっくり返りました。企業戦略がこれほどまでに違うのだから、欧州がアメリカとは違う世界で自分たちの存在を確立しようとしている、ということを初めて知りました。MBAの教科書に学ぶとのは良いことですが、戦略自体は自分たちで好きに書いて、それがきちんと説明できれば良いという話なのですよね。しかしながら、戦略を作るときには、感受性がとても大切で、創造力が必要だと思います。頭を白紙にして、感受性を豊かにするというところが大切という点に繋がります。

三輪:アルゼンチンのオーケストラの話にも繋がりますが、世界地図で自分がいる場所や見ている景色を捉え直すようなことは、頭を白紙に戻す手段ではないかと思っています。海外の人と話して初めて気づく日本人らしさ。海外の人と触れる出ることで自分が一回リセットされる感覚みたいなのは常にある気がしています。

川や田んぼを駆け回りながら自分で遊ぶものを作っていたバングラデシュの子どもたちに大きな変化が起きています。1歳児からお友達がYouTubeになって、受け身になっているのです(三輪)。

三輪:最近危機感を覚えているのですが、10年前のバングラデシュのでは、生徒たちがキラキラした目で明日学ぶものを選んでいました。川や田んぼを駆け回りながら、自分で遊ぶものを作っていた子たちなので、明日のことを考えるなんて当然のことで、今日を、今をどう楽しむかという天才たちでした。しかし10年が経過して状況変化が起きていて、考えられない子が増えてきています。スマートフォンの影響もある気がしていますが、バングラデシュの友人の5歳の子どものお友達がYouTubeなのです。ゼロ歳から触れていて、1歳の時点で広告スキップの方法を理解していました。幼少期から情報は自然とやってくるもの、しかも高い刺激が入ってくる環境にあったのです。また、音楽がとても身近になってきていると思います。マヒン君の5歳の娘は10か国語の歌が歌えます。YouTubeで散々情報が入ってくるので、多彩な音楽と出会うきっかけは得られていると利点がありますが、受け身であり、自己表現の場は相対的に少なくなってきていると思います。もしも田中さんが、学校の校長先生や音楽の先生になった場合、どんな教育をしたいですか。

最近の音楽家や学生も、楽譜から音楽を作り上げるのではなく、動画サイトで録音を耳でコピーし、その通りに演奏する方が増えているそうですが、そうやって演奏する事に何の意味があるのか、わかりません。(田中)

田中:今、学生に限らずプロの方でも、新しい楽譜から学ぶのではなく、動画サイトで直接録音を聞いて、「コピー演奏」をするやり方が増えているそうです。そういった演奏は、誰かのコピーでしかありませんから、何の根拠もなければ感情もこもっていないものになります。そういうのは、ぱっと聞く側にはわからないでしょうし、準備に時間がかからず本番でも、上手くいくかもしれません。でも、そういった事を続けていくと、自ずと考える力が失われ、クリエイティブな考えも、何のために自分が音楽を演奏するのかすら分からなくなってしまいますね。

三輪:そういう子たちは、すでに相当増えていると思います。五線譜を読む前にYouTubeを聞いて自分のモノにしたつもりになっている、という体験をした子たちが、わざわざ五線譜を読んで、ゼロから音を取るようなことは、教育方法から変えていかないと、今の子に合わないような気がします。私は、教育は学びではなく、体験させることが最も大切だと思っています。結局、本物を識別する力を身に付けないと、本物になろうという気は起きないのだと思います。

奥田;大学受験の参考書で、例題と同じように類題を解きましょうと言う感じですよね。明らかに間違っていますが、全世界そういう方向になりつつあると。しかしながら、それでは人生面白くないよって言いたくて、「ちょっと面白いものを聞きに行こうよ」と言って、コンサートホールに連れて生演奏を聞かせると全然違う、こうした点は伝わるのだと思います。作られた標準的な世界とは異なる別世界をいかに体験させるかが、これからの教育の一番大きな課題だと思います。別格の世界があるということを教育が体験させなければならないと思います。

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三輪:ゲームの中で自然を楽しむのではなく、実際に海へ行って潮干狩りしてごらん、と言いたいですね。とてつもなく楽しいわけです。いろんな貝が出てくるし、貝を取ろうと思ったらエビが出てきたとか、ああいう体験って、やはり最高だと思うのです。本当の楽しさを教えてあげることが教育だと思います。

奥田:予想通り、大変面白い対談になりました。みなさん今日はどうもありがとうございました。

(対談を終えて)

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イノベーターであるお二人には「人のエネルギーを感じる」という共通点があると思います。エネルギーを感じる感受性の部分がお二人ともとても豊かです。そして感受性とは、創造のための原動力なのではと感じました。エネルギーを感じて、受け止めて、泣いたり笑ったりする力。これがないと新しい価値を生み出すことはできないと思います。田中彩子さんがアルゼンチン国立オケの支援活動の目的を「感情が豊かになるという根本的な部分を芸術という枠の中で育てていく」という言葉は、とても重く感じました。
それから平均点ではなくcrazyさが世の中を変えていくという点は、皆さんも共感をされていると思います。そこで勝負をしようという人がいることによって世の中が変わっていくことは、間違いないと思います。「too earlyは誉め言葉」「leapfrog」のお話も刺激的でした。しかし、そうした人がまだ少ないのは、社会システムや教育システムにも原因の一つがあって、crazyな人たちを集めながら社会を作っていくことに社会全体が寛容になることによって、新しい価値が生まれやすい社会や会社が出てくるのだろうと思います。そして私たちも一度頭の中を白紙に戻して、新しい価値と向き合う鍛錬が必要だということを再認識させてもらいました。(奥田記)

三輪 開人

認定NPO法人e-Education代表
三輪 開人

1986年生まれ。早稲田大学在学中に税所篤快と共にe-Educationの前身を設立。映像教育を用いて、バングラデシュの貧しい高校生の大学受験を支援。1年目から多くの合格者を輩出。大学卒業後はJICAで勤務する傍ら、e-Educationの海外事業統括を担当。2013年10月にJICAを退職、14年7月にe-Educationの代表理事へ就任。これまでに途上国14カ国3万人の中高生に支援を届けてきた。2016年、「Forbes 30 under 30 in Asia」選出。2017年、第1回ICCカタパルト・グランプリ優勝。著書『100%共感プレゼン』(2020年、ダイヤモンド社)

田中彩子

ソプラノ歌手、Japan MEP / 代表理事
田中彩子

18歳で単身ウィーンに留学。 22歳のとき、スイスベルン州立歌劇場にて同劇場日本人初、且つ最年少でのソリストデビューを飾る。その後ウィーンをはじめロンドン、パリ、ブエノス・アイレス等世界で活躍の場を広げている。「コロラトゥーラソプラノとオーケストラの為の5つのサークルソング」でアルゼンチン最優秀初演賞を受賞。同アルバムは英国BBCクラシック専門音楽誌にて5つ星に評された。
UNESCOやオーストリア政府の後援によりウィーンで開催されている青少年演奏者支援を目的としたSCL国際青少年音楽祭や、アルゼンチン政府が支援し様々な人種や家庭環境で育った青少年に音楽を通して教育を施す目的で設立されたアルゼンチン国立青少年オーケストラとも共演するなど、社会貢献活動にも携わっている。
2019年 Newsweek誌 「世界が尊敬する日本人100」 に選出。2022年10月22日に行われた、日本のプロ野球チームの頂点を決める「SMBC日本シリーズ2022」の開幕セレモニーでは国歌斉唱を務めた。
京都府出身、ウィーン在住。