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ビジネスとアートの共創
第2回「教育×創造力」(前半)

2023.6.12

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奥田:ゲストをお迎えしての対談は今日が初めてです。今回は認定NPO法人e-Education代表の三輪開人さんをお迎えしています。三輪さんは、バングラデシュの若者たちに先進国並みの水準の高い教育を受ける機会を提供し、難関国立大学に送り込むプロジェクトを立ち上げ活動されています。そうしたNPO法人の三輪さんと、ソプラノ歌手の田中彩子さんとの対談、この組み合わせはとても不思議だと思われるかもしれません。

お二人には、類まれなベンチャー精神を持たれているという共通点があります。田中彩子さんは芸術の世界で生きている方ですが、リスクを取り、自分のやりたいことをやり遂げるところ、ポリシーを明確にして仲間を集めるところ、自分の強みを生かして差別化を図るところ、など、ベンチャー起業家の方と同じ匂いを感じる所が多くあります。そして、途上国の青少年教育への関心という共通点もあります。三輪さんはバングラデシュ、田中彩子さんはアルゼンチンで青少年の教育活動をスタートされています。途上国で十分な教育を受けられない人たちに、より質の高い教育を受ける機会を提供し、先進国に触れる機会も作ろうという意味で、田中さんのアルゼンチン青少年楽団を日本に連れてくる活動と、三輪さんのバングラデシュの若者たちに質の高い教育を提供する活動には共通の思いがあります。これらの接点があるので、お二人が対談したら、きっと面白いことになるだろうと考え、今日の企画に思い至りました。では、ここからは田中さんにバトンタッチします。よろしくお願いします。

田中:よろしくお願いします。まず、若者に教育機会を提供する活動を、バングラデシュで始められた経緯を教えていただけますか。インターネットで調べると、バングラデシュはアジアで一番貧しい国と出てきました。それで活動を始められたということでしょうか。

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深夜にもかかわらず街路灯の下で勉強する子どもを見て、エネルギーに満ち溢れていると感じたのが、バングラデシュで事業を始めたきっかけです(三輪)

三輪:2006年にバングラデシュのグラミン銀行創設者、ムハマド・ユヌス先生がノーベル平和賞を受賞されました。当時最貧国だった国に革新的な銀行が生まれた、このことをもって、世界を変える起業家の方々がバングラデシュに集まっているのではという予感がしました。貧しいことは理由のひとつではありましたが、同時に、それを乗り越えるために人生を懸けて全力で向き合っている素敵な起業家の方々が集うバングラデシュは面白そうだなと思ったのが正直なところです。

田中:なるほど。それでは事前にいろいろと調べてからというよりは、現地で感じて、ここは面白いのだなと思われたのがきっかけということでしょうか。

三輪:そうですね。大学時代にいわゆるバックパッカーとしてアジアを巡っていた中で、とてつもない可能性を感じました。バングラデシュに限らないのですが、深夜にもかかわらず、街路灯の下で勉強する子どもを見て、エネルギーに満ち溢れていると感じました。こうした体験をしたため途上国に惹かれているのかもしれません。「最貧国、かわいそう」ということは、最初から頭になかったかもしれません。

田中:肌で感じた経験が一番大きいのですね。e-Educationの設立経緯はどうでしょうか。

三輪:私が大学4年生の時、同じ大学の2年下の後輩である税所君が、先ほどお話ししたムハマド・ユヌス先生が創られたグラミン銀行でインターンをしていました。共通の友人も多かったため、我々が繋がることになり、そこで意気投合して始めたというのがe-Educationです。

田中:バングラデシュの街を歩いて感じるものがあり、そこでお相手の方に出会い、e-Educationを立ち上げたわけですが、設立の理由をもう少し詳しく教えてください

三輪:もう一人の創業者の税所君が温めていたアイデアがありました。それは、彼が高校生の時にお世話になっていた東進ハイスクールという予備校の有名講師の映像授業を受けるモデルが、この国にマッチするのではというものでした。私はその話を初めて聞いたときに、脳天をカチ割られるほどの衝撃を感じました。実は私がバングラデシュに行く前日まで東進ハイスクールでアルバイトをしていたのです。4年近くやっていたこともあり、大学生活の大半が東進ハイスクールで作られたと言っても過言ではありません。その私が、バングラデシュで「何かこの国でできることがあるのでは」と思っていた時に、自分が最も好きで、最も得意な「映像教育」というヒントをもらった時に、これは何かの運命かなと思いました。税所君と出会ったのは1月31日、e-Educationの創業日は2月1日と、24時間で立ち上げを決めたのです。

電気もインターネットもない村から海外へ出稼ぎに行った弟のためにNo.1国立大学に入ったという大学生のストーリーがe-Educationを展開する際の起爆剤になりました(三輪)

田中:とても細かいことを伺いますが、最初の生徒はどのように集めたのですか

三輪:税所君がインターンをしていたグラミン銀行が支援している村で実施するアイデアを持っていたのですが、私は、物語性が無いため直感的にうまくいかないのではと思っていました。そこで、私は「もう一人現地の人で創業者を見つけよう」と、今でも一番のファインプレーだと思っている提案をしました。そして、日本の東京大学にあたるダッカ大学で100人にインタビューをしました。

田中:インタビューをされたのですね。

三輪:はい。地方の高校生が都市部の大学に入れないのは、感覚的には理解していましたが、その理由は分かりませんでした。バングラデシュにも予備校街が首都近郊にあるのですが、おそらくそうした予備校に行かないと大学に入れないのでは、という仮説を持っていました。そこで、仮説が正しいか確認するために大学生たちへインタビューをしたのです。予備校に通っているかを調べることがメインでしたが、私自身は仲間集めの絶好の機会だと思っていたので、最後に「映像授業でこの国の教育課題を解決したい。この思いに共感してくれる人は、コメントをください」という欄を作り、そこにコメントを書いてくれた11人の仲間候補とインタビューをしました。そして見つけたのが、最も熱いメッセージを送ってくれたマヒン君という、e-Educationの最後の創業者です。

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田中:マヒン君は当時大学生だったのですか?

三輪:そうです。彼はコメント欄に「大学を辞めてでも君たちと一緒にやりたい」と書いてくれました。彼が仲間になるにあたって、映像教育をマヒン君の村で実行したいとお願いしました。彼の出身の村では、バングラデシュが1972年に独立してから約40年で彼1人しか難関国立大学に行っていない村でした。

田中:マヒン君しか合格者が出ていない村は、首都からどのぐらいの距離のところですか。

三輪:船で6時間かかりました。当時の村ですが、電気はわずかしか通っておらず、インターネットも使えません。マヒン君の弟は中学生でしたが、マヒン君を大学に行かせるために、海外へ出稼ぎにいって学費を稼いでいました。そしてマヒン君は弟の思いを背に大学に入った、というストーリーがありました。彼のストーリーこそがe-Educationの起爆剤になる確信がありました。実際、マヒン君の村で彼が呼び掛けたところ、32人の生徒が一瞬で集まり、こうしてe-Educationが始まりました。

奥田:マヒン君を見つけたのもすごいし、彼のストーリーには感動できる点がありますね。そのストーリーに自分は感動するし、おそらく他人も感動するだろう、こうしたことからマヒン君と一緒にやろうという考えに至ったのだろうと思いました。

三輪:その通りです。私は、遠いロールモデルだけではなく、身近なロールモデルがいるかどうかで、人生が変わるだろうなと思っています。特に受験のような、この先、右も左もわからない高校生や中学生にとって、高尚な大学の先生が授業をするよりも、近所のお兄ちゃん、お姉ちゃんが「こんな道も面白いぜ」と言った方が絶対インパクトあると思いますし、そのあたりは最初から意識をしていました。

奥田:e-Educationのエディケーションのプログラム自体は誰がどうやって作っているのでしょうか。バングラデシュ現地の言葉で作っているのでしょうか。

三輪:もちろんそのとおりです。少しマニアックな話をさせてください。奥田さん、田中さん。人生で忘れられない受験はいつでしたか。奥田さんは大学受験を覚えていらっしゃいますか。

奥田:大学受験はよく覚えていますし、記憶しています。どんな問題が出るのか、また緊張感も含めて楽しかったです。

三輪:東進ハイスクールの林修先生が私の恩師でした。林先生から、「三輪君、受験はいわゆるゲームだよ」と教わったことで見方がガラリと変わりました。受験は学校の勉強とは違い楽しむことが出来ると思います。どの教科でどう点を取って合格に持っていくか、強みを徹底的に伸ばして合格する子もいれば、弱点をコツコツと克服して合格する子もいます。映像教育の良い点は、それを自ら選択できることです。学校は時間割に沿って授業を受けますが、映像教育では、明日受ける授業、今これから受ける授業を自分の意思で決めます。自分で強みを伸ばすか、弱みを克服するかを決めて、努力していくのです。私もこうしたことを経験したので、受験を面白いと思えたのではないかと思います。
とてもcrazyなバングラデシュの受験システムを紹介しましょう。バングラデシュでも文理選択がありますが、日本でいう東京大学文科一類に相当するダッカ大学の受験科目を調べたところ、英語・国語・国内史・世界史の4教科でした。4教科で各25問、合計100問のマーク式の試験で、制限時間は解答用紙等の配布時間を入れて60分、実際解く時間は50分から55分程度です。計算すると、1問あたり30~40秒程度しか時間をかけられません。学校の授業では50分で勝負する試験の練習はさせてくれないので、予備校に行かないと受験に合格できないであろうというバングラデシュの教育構造が見えてきました。また、マーク式という時点で満点を取るのは難しい試験のため、捨てる問題を選択する必要があります。こうしたことから、受験のテクニックさえあれば、実は高得点が叩き出せる可能性があると思いました。

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さらに、バングラデシュの大学受験の合否判定には、中学卒業時と高校卒業時の2回の試験、そして、このマーク式の試験の3段階があり、それぞれ、30点、50点、120点という点数配分です。子どもたちが何気なく受けた中学最後の学年末試験、それがダッカ大学合否判定の200点満点中の30点を占めるのです。親の受験リテラシーが高ければ中学の時点で子どもに満点を取らせにいくので、ダッカにいる子たちは、平均して28点以上を取っていました。田舎の村で中学校も卒業していないような両親を持つ子どもたちは、大体20点、良くても25点程度です。知らないうちに勝負が始まっていて、彼らが気付く頃には大きな差が開いているのです。村の子たちに出会ったときには「大学に行きたいが、僕らはもうすでに出遅れている」と泣いていました。私は大学受験がマーク式100問で120点という構造を知ったときに、村の子たちは深夜まで街路灯の下で勉強する基礎体力や根性があるので、受験対策のノウハウを学べれば、確実に合格者が出るだろうという確信を持ち、村の高校生たちをサポートする取り組みを始めたのです。

田中さんの対談記事を拝見しましたが、田中さんの「勝てるところで勝ちにいく」という考え方がとても好きです。受験はやはり白黒がハッキリする世界です。1点でも多く取った人が合格しますが、バングラデシュでの1秒で1点2点差が開くようなテストであれば、そこに向けて努力をした人が最後に切符を手にすることができると思いました。これは海外の方は持っていない日本人特有の感覚だと思います。バングラデシュの子たちは、受験は点取り勝負のゲームという感覚を持っていなかった中で、日本人でも特に受験マニアだった僕と税所君だったら何とかできると思い、始めたのがe-Educationです。

田中:中学校の時点で、村の子たちは状況を理解せずに過ごす一方で、すべてを理解して中学時点で大学進学を目指す子もいるのですね。

三輪:都市部にいる子たちは理解して勉強していますし、今もその差はそれほど変わっていません。私たちe-Educationが教育大臣から表彰いただいたときにコメントを求められたので、「受験の仕組みを変えてください」と発言したぐらい、仕組みに大きな問題があると思っています。しかし、仕組みを変えるには時間がかかりますし、特にスタートダッシュが遅れた村の子たちからすると、最後の大学受験での逆転に賭けるしかないというのは、10年経ってもあまり変わっていません。

e-Educationでは受験テクニックを身につけるのではなく、自分の強み、弱みを踏まえて、未来をつかみ取る能力を身につけることができるのです。(三輪)

奥田:三輪さんは、教育の中身よりも、受験テクニックに近いところで、まず勝たなければ話にならない、つまり、大学を出れば人生がだいぶ変わるので、まずそのチャンスを掴むため、大学に入る方法をきちんと指南する、なんとかしてあげようという、思いがあるのですね。でも非常に難しいと思うのは、その人たちが大学に入ってから良い勉強をして育ってくれればいいのですが、受験テクニックを中心に勉強してきた人は、本当に自分の人生を豊かにしてくれるような知識や思考力を持てているのだろうか、という点が少し疑問です。

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三輪:ありがとうございます。田中さんのように音楽の才能があって、小さい頃から音楽を習う子がいたとしても、おそらくバングラデシュでその道を切り開くのは難しいのではと思います。バングラデシュには課外活動やクラブ活動という仕組みや文化がありません。全国の子どもたちが貧富や家庭環境の差なく、同じステージに立って勝負できる唯一の舞台が大学受験です。中学時代から差が開き始める状況下で、頑張っても届かないという意識の中、この差を我々は埋めたいと思い映像教育を始めました。結果的にe-Educationのサポートを受けた子たちは、受験に向けた勉強をする中で、自分の強みや弱みを考え、今日や明日に学ぶことを自ら考えながら育っています。その子たちは大学に入学後も、主体的に学ぶことに加え、入学直後から自分の地元の子たちのためにアクションを始める卒業生が増えてきています。
忘れもしないのが、2017年に起きたロヒンギャ難民危機。1か月で約70万人の難民が隣国ミャンマーからバングラデシュに入ってきました。その時に、国連、ユニセフ、バングラデシュ政府等の機関よりも先に現場に入り、困っていることのアンケート調査を実施したのはe-Educationの卒業生でした。指示を受けたわけでもなく、主体的に行動ができたのは、きっと自ら考えて未来をつかみ取る力を、たかが受験かもしれませんが、その中で見出せたからではないかと思っています。

奥田:とてもしっかりしたポリシーのあるお話でした。三輪さんが伝えたかったポイントは、e-Educationのシステムでは、様々なプログラムが映像で用意されていて、自分の強みを伸ばすのか、弱点を克服するかなどは、自分で考えなくてはならない。考え抜いて自分なりのプログラムを作り、それで受験に打ち勝つということ、そこを考える過程において思考力が強化されている、そうした点を三輪さんは訴えようとしているのですね。

三輪:そうだと思います。田中さんと奥田さんの対談を拝見しましたが、田中さんは五線譜という制限の中で表現する世界で活動されていらっしゃいますが、受験に近い部分があるではないかなと思います。例えば英語が得意だけれど国語が苦手、という人は、英語で満点近い点数を取り、国語はもう勉強しないというのもひとつの選択肢。いろいろな道を選べるのも受験の面白さなのかなと思ったりします。

奥田:様々なプログラムがあり、それを勉強していく過程で、自分の強みや弱みも発見できるわけですよね。発見していく中でいろんな道を見つけられると思います。自分の強みはここで、それもかなり強い、ということなら、ここで一点突破することを選択して人生を切り替える人もいるでしょう。反対に、弱点を徹底的に克服して乗り切る人もいる。いずれの道も正解だと思います。大切なのは、自分にとっての正解を自分で決められる能力を持つということ。三輪さんがバングラデシュの子たちにこうした考えを与えたことが大きいのだと思います。結果として夢に向かって進む「入場券」を大学に入って手に入れたと思いますが、それ以上に「人生を何で勝負するか」、この選択が重要であることを、きちんと教えることが出来たことが大きいと思います。

田中彩子さんは先生のどのような言葉で奮い立ったのですか?(三輪)

三輪:私から田中さんに質問をさせてください。田中さんがピアニストからソプラノ歌手に転身された際に、おそらく良い先生との出会いがあったのではと思います。私の場合は東進ハイスクールの林修先生です。私は東京大学の理科一類を志望していた理系学生でしたが、林先生から「残念だけど、三輪君に理系のセンスは感じない。でも、現代文はとても良いものがあるかもしれない」と言ってくださいました。自分で自分に言い聞かせていた点が解放されたと思う瞬間でありましたし、なかなか点数が取れない理系の教科もあったので、私には違う選択肢があるのではと考えることができたのです。最終的には法学部へ進学しますが、この決断ができたのも良い先生との出会いがなかったら難しかったと思います。田中さんのフォトエッセイを読みましたが、その中で何度か小玉先生のお話が出てきます。小玉先生とは具体的にどのような関係だったのか、どのような言葉で田中さんが奮い立ったのかお聞きしたいなと思ってきた次第です。

先生から「珍しい声の持ち主」と言われたとき、「これだ!」と思ったのです(田中)

田中:これまでどこにも話をしていないエピソードをお話しします。ピアノでこのまま進むには厳しいかな、と最初に自分で思った時、歌はどうかと周囲に言われて、初めて声を出した時に聞いていただいた先生に「あなたはメゾソプラノ」と言われました。メゾソプラノは低い声で、何の知識もありませんでしたが、直感的に「絶対に違う」と思い、この人から習うこと自体が「違う」と感じました。その後、小玉先生をご紹介いただいて、先生から「あなたは、とても珍しい声の持ち主だ」と言われた時に「これだ!」と思いました。

三輪:音楽は詳しくないので、「珍しいこと」は良いことなのか、悪いことなのか判断が付きませんが、それは褒め言葉だったのでしょうか。

田中:受け止めは性格によると思います。私にとっては「珍しい」は良い言葉だと思いましたし、そこに勝算があると感じました。もちろん、「珍しい」を良くない意味に取らえる人もいると思います。自分の中で「この人は信頼できる」と感じた方から言われたので歌に決めたのですが、私も今日三輪さんにお聞きしようと思っていたことの一つが、「良い先生を見つける」ということです。とても大変なことだと思いますが、ご自身が良い先生に出会った経験がおありだからこそ、バングラデシュでも見つけられたのかなと思いましたが、どうでしょうか。

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私は恩師の「Only crazy people can change the world」の一言に背中を押されました(三輪)

三輪:前職のJICAで働きながらe-Educationを副業としていた時に、恩師の一人でもある米倉誠一郎先生に言われたのは「Only crazy people can change the world」、crazyな人だけが世界を変えていくという言葉です。創業者の税所君は本人も認める多動人間です。思い立ったら考えるよりも前に足が動いてしまうような、多動多発な創業者でしたが、彼の才能をいち早く見抜いた米倉先生は、「違いこそが美しい、crazyだからこそ世界は変えられる」と、彼が高校生の時からずっと励まし続けていました。私も今のままで世界を変えられるのだろうかと悩んでいた時に「迷ったらcrazyの道を選べ、crazyであれ」と背中を押していただき、翌日にはJICAに退職届を提出していました。中にはその言葉を褒め言葉として取れない人もいると思いますが、小さい頃から「迷ったら面白い方へ、迷ったら難しい方へ」と選んできた私にとって、米倉先生の言葉は私の人生を一気に豊かにしてくださり、足を軽くしてくださったと思います。気付けばe-Educationを仕事にして早10年経ちました。最高の先生です。

日本人がCrazyな道を選ばないのは平均点教育の責任も大きいと思います(奥田)

奥田:とても興味深いご発言ですね。まさに田中彩子さんと共通するところですね。ただしcrazyであることが世界を変えることを概念で理解できても、自らそのcrazyに磨きをかけて、そこで勝負する決断は簡単ではないと思います。自分にcrazyさがあると思っていても、怖いと思って、思い留まる人が多いですよね。
田中さんが最初の先生から「メゾソプラノ」と言われて「そうですか」とそのまま歌っていたら、おそらく今の田中彩子さんは存在しませんね。自分のcrazyさに気付いているところがあったので、次を見たのだと思います。そこがとても大事だと思います。直感的かもしれませんが、自分では「違う」と思い、次の先生から「珍しい」と言われ、その「珍しい」を活かしていこうと田中さんは考えられました。とても大切な分かれ道ですが、日本人がcrazyな道を選ばない傾向にあるのは、ある意味では教育の責任も重いと私は思っています。
私たちの世代が受けた教育は、平均点教育であることは疑いようがなく、誰もが同じように国算理社、音楽、美術を学び、そのプログラムはみな同じです。音楽を例に挙げあれば、弾きたいものが、ピアノ、ギター、バイオリンとバラバラかもしれませんし、歌を歌いたい、ドラムを叩きたい、僕は聞いているのが好き、と様々な人たちがいるはずです。その人の好きなことができれば、音楽家までにはならずとも、良い鑑賞家や、音楽に理解の深い人になる可能性があるはずです。なのに、小学校1年生はハーモニカを吹きましょう、3年生になると縦笛、5年生からはピアニカです…。これでは僕はこんなことをしたくはない、と音楽を嫌いになるのではと思います。日本は皆に同じ教育、プログラムを受けさせる意識が強すぎると思います。私はベルギーにいたことがありますが、例えばベルギーの美術の授業では、ひたすら美術館に行って様々な美術品を見せる機会を提供します。音楽はCDやコンサートホールでいろいろな音楽を聴かせる機会を提供して、その中で自分が「おや?」と思うものがあればそれをやってみよう、という教育をします。そこの違いはとても大きく、ヨーロッパの教育は自然に「自分の好きや得意なもの」を考えさせる仕組みができています。それが将来の生きる力に繋がっているのだと私は思うのです。
三輪さんのお話を聞いていて、東進ハイスクールでの経験に基づいてバングラデシュの子どもたちに受験を克服するプロセスを提供する中で、自然に自分の強みや弱み、あるいはこの難局を乗り切る方法を考える力をつけることを提供されていて、これはとても面白いお話だと思って聞いていました。

「得意を伸ばす」だけではなく、「苦手なものを知ること」をきちんと体験することでスタートラインに立てるのではないかと思います(三輪)

三輪:私たちは創業時から、選択肢を増やすことを大切にして活動をしてきました。そして選択肢がある程度広がってきた今、私たちの選択肢が増えることで何が叶うのだろうかと思うことがあります。「得意を伸ばす」ことはその人らしく生きていく上で大切なことですが、まずは「苦手なものを知ること」をきちんと体験することでスタートラインに立てるのではと考えるようになりました。田中さんがいろいろな方と対談されている記事を読んで、茂木健一郎先生との対談中の「望ましい困難」のやりとりがとても腑に落ちました。日本の学校や企業において「失敗を善とする」カルチャーが本当に少ないと思います。スタートアップの経営者の人たちとは「失敗にこそ価値がある」という話になります。「このカルチャーギャップはどこで生まれているのだろう」と思いながら田中さんのお話に触れたときに、田中さんがピアノの道を17歳まで模索されていた頃に、「苦手を知る・不得意を知る」という体験があったのではと思いました。田中さんは苦手なものを知ることや、挫折することをどのように捉えていらっしゃるか、質問をさせてください。

私は「苦手なもの」は透明なオブラートに包んで自分に錯覚させて前に進みます(田中)

田中:私が意識していることは、何かができなかったとしても、「それはそれ」で終わらせて、苦手意識を持たないようにしています。「これは苦手」と認識すると入りづくなります。それを切り捨てても良ければそうするのですが、どうしても避けて通れないものであれば、できる限り「透明なオブラート」で包んで、あえて自分の意識の中で、初めて関わるよう錯覚させるようにします。どうしても避けて通れないものであったとしても、できないことが続けば削除して回り道を探します。

三輪:それはピアノの時のからずっと考えられていたことでしょうか。

田中:すべてそうです。それほど長くない人生の中で、自分の中で100%苦手と固まるまでは、模索してやりますし、自分の中で苦手と固めるまでは時間をかけて考えるようにしています。

三輪:それは日本の社会や学校で学べるようなものではないと思いますね。

田中:そうですね。平均点の話にもなりますが、すべてを上手くこなすという観点では、私はとても生きづらかったです。例えば、学校である教科でとても良い点数を取っても、他が悪ければ先生から怒られていました。反対に、私の両親は奔放に育ててくれたので、良い点が取れた方をとても褒めてくれました。これがとても大きくて、例えばピアノをやっていても、当時は手が小さくて1オクターブ以上が必要なものは弾きづらかったのですが、それを認めてしまうと、ピアノを辞めければならないのは理解していたので、脳が100%「弾けないな」と考えるまでは頑張っていました。そのため、あえて1オクターブが必要な作品を選んだりしていましたが、「もう無理」と認識した時にピアノをキッパリと辞めました。

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三輪:受験でも勉強でも、早い段階で苦手を認識させる指導をする先生は多いのですが、これが正解かどうかは分かりません。私自身は、限界までやって東大に2回落ちて、自分には本当に理系の才能がないと区切りをつけられました。後悔を残さないための大切な考え方として、先ほどの「透明なオブラート」の話が的を射ていると思います。心のどこかに苦手だと認識するものを、単に消去してしまうよりも、「透明なオブラート」で包んであげて、今はちょっと見えないようにする、というのは大事な向き合い方なのではないかと思いました。

奥田:今お話を聞いていて、私は田中彩子さんの弾くピアノを聴いてみたいと思いました。上手に弾くピアノと、感動させるピアノは別だと思うからです。私はクラシック音楽が大好きなのですが、コンクールで優勝する人と感動させる人はイコールかと問われれば、私は違うような気がします。小さな手の人が弾くピアノ。それは手が大きい人のように滑らかに、上手に音は繋がらないかもしれませんが、それがゆえに伝わってくるものがあるのではないか、ということを今の話を聞いて思いました。ある意味では、それは「苦手」ではないのかもしれない。世間の標準との比較の中で「苦手」と定義されているだけで、知らずに聴く人がどう思うかは別なのかもしれません。
ビジネスの世界でも、例えば流暢にプレゼンテーションをする人が、必ずしも人を感動させるとは限りません。そこに作り物っぽさを感じる人もいるわけです。反対に、言葉が詰まりながらも朴訥に話すのだけれど、彼の言っていることは絶対信用できると受け取られる人もいるわけです。
苦手意識とは、自分で勝手に思い込むことによって生まれるものですが、受け取る側は必ずしも苦手意識を見つけてマイナス評価しないこともあるように思います。計算間違いした時点で僕は数学が苦手と思って諦める人が結構いますが、実はその人がN次元のイメージを頭の中で描ける人で、優秀な数学者になれる可能性があるかもしれない。そのため、テクニックというか、ツールの世界で失敗すると、「あなたはこれが苦手」と切り捨てるような教育方針になっている点に相当問題があるかなと思います。もっとその先を見せてあげればいいな、ということがたくさんありますよね。

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三輪:田中さんの「透明なオブラートに包む」というご発言がとても響いています。今、奥田さんがお話しされたように、失敗と苦手が等式になるのが今の日本の文化かもしれません。私は、「失敗している」のは挑戦をした結果であり、前進であり、苦手とはまた違う道に進める大事なターニングポイントなのでは、という気がしています。

(後半へ続く)

三輪 開人

認定NPO法人e-Education代表
三輪 開人

1986年生まれ。早稲田大学在学中に税所篤快と共にe-Educationの前身を設立。映像教育を用いて、バングラデシュの貧しい高校生の大学受験を支援。1年目から多くの合格者を輩出。大学卒業後はJICAで勤務する傍ら、e-Educationの海外事業統括を担当。2013年10月にJICAを退職、14年7月にe-Educationの代表理事へ就任。これまでに途上国14カ国3万人の中高生に支援を届けてきた。2016年、「Forbes 30 under 30 in Asia」選出。2017年、第1回ICCカタパルト・グランプリ優勝。著書『100%共感プレゼン』(2020年、ダイヤモンド社)

田中彩子

ソプラノ歌手、Japan MEP / 代表理事
田中彩子

18歳で単身ウィーンに留学。 22歳のとき、スイスベルン州立歌劇場にて同劇場日本人初、且つ最年少でのソリストデビューを飾る。その後ウィーンをはじめロンドン、パリ、ブエノス・アイレス等世界で活躍の場を広げている。「コロラトゥーラソプラノとオーケストラの為の5つのサークルソング」でアルゼンチン最優秀初演賞を受賞。同アルバムは英国BBCクラシック専門音楽誌にて5つ星に評された。
UNESCOやオーストリア政府の後援によりウィーンで開催されている青少年演奏者支援を目的としたSCL国際青少年音楽祭や、アルゼンチン政府が支援し様々な人種や家庭環境で育った青少年に音楽を通して教育を施す目的で設立されたアルゼンチン国立青少年オーケストラとも共演するなど、社会貢献活動にも携わっている。
2019年 Newsweek誌 「世界が尊敬する日本人100」 に選出。2022年10月22日に行われた、日本のプロ野球チームの頂点を決める「SMBC日本シリーズ2022」の開幕セレモニーでは国歌斉唱を務めた。
京都府出身、ウィーン在住。