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ビジネスとアートの共創 グローバル×創造力(前半)ビジネスとアートの共創 グローバル×創造力(前半)

ビジネスとアートの共創
グローバル×創造力(前半)

2023.4.4

奥田:まずはこの対談が実現できて大変光栄です。彩子さんとは、実は今日が初めてではなく、これまで2回ぐらいお話をさせていただいているのですが、その中で私のような企業人にとっても大変刺激になる話がたくさんあり、ぜひこの対談を実現したいと思っていました。

今回の対談企画のテーマは「グローバル×創造力」。今後様々な業界の方との対談をしていただく予定です。(奥田)

奥田:最初に私の方から簡単にJERAの紹介をさせていただきながら、今回の対談企画の意図をお話ししたいと思います。

JERAは、もともと東京電力と中部電力の燃料事業と火力発電事業、海外事業を切り出し、統合して出来上がった会社ですが、2019年に「世界のエネルギー問題に最先端のソリューションを提供する」という新しいミッションを発表しました。この「世界の」というところと「最先端のソリューション」というところが重要で、グローバルに通用する創造力がないと、世界に通用するソリューション力を提供することはできません。そこで今回の企画では、その「グローバル×創造力」いうところに主眼を置きたいと考えています。

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彩子さんは、グローバルなクラシック音楽界でまさに新しい価値を創造されている方です。その成功の背景に一体どんな努力や苦労があったのかをお聞きしながら、グローバルなレベルの創造力を身に着けるには何が必要なのか。その源泉は何なのかというのを探っていきたいと思います。今日は私との対談ですが、これから歴史学者、科学者、ベンチャー企業の経営者等の様々な業界の方と対談をしていただきたく予定です。みなさんグローバルレベルで価値を創造されている方ばかりです。異なるフィールドで活躍されている方同士で考え方をぶつけ合っていただく中で、クロスオーバーな新しい価値を生み出したい。そういうことも期待しています。

奥田:では、ここからは彩子さんへのインタビューを通じて、彩子さんのここに至るまでのヒストリーとそこにある成功の秘訣や創造力の源泉をお聞かせいただこうと思います。まず、18歳のときに単身でウィーンに行かれたんですね。渡航される前に何を考え、どんな決意を持って単身で行こうと思ったのですか。

歌との出会いはロマンチックではなかった、でも勝算があると思った。(田中)

田中:私は3歳からピアノを習っていたのですが、たまたま通っていた幼稚園の敷地内に音楽教室があり、終わってからそこに通うというような流れで始めました。多分、好きだったからそのまま続けていたのですが、周りの人や家族に音楽家がいなかったので、誰からも「ピアニストを目指して頑張れ!」と言われるような事はありませんでした。自分にとっては、ご飯を食べる、歯磨きする、宿題をするのと同じように、ピアノを弾くことが生活のルーティーンの1つでした。ピアノを弾くことが当たり前で、そのまま続けるだろうと思っていた中で、ふんわりと「音楽家になりたいな」と思いはじめて、高校生の時に将来、ピアニストの道に進めたら良いと思ったのです。
しかし、高校2年生の時に、進路相談でピアニストとしてやっていくことは、自分の中でなんとなく難しいだろうと感じました。というのは、私の手がすごく小さかったため、自分が思うように弾けなくなっていたんです。まだ10代後半なのに自分の中でリミットというか、「できないだろう」と感じ始めたことがもうダメだと思い、そんな状況で先に進んだとしても、プロにはなれないだろうからピアノをやめようと思ったのです。ただ、そうは言うものの音楽は生活の一部だったので、別の何かがないかなと思っていた時に勧められたのが歌だったんですね。
それまで歌に全く興味もなかったですし、歌ったこともなかったのですが、歌には初期投資は必要ないですからね(笑)。楽器であれば買わないといけないですし、買っても自分に合わなかったら、もったいない。けれど、歌は無料で始められます。とりあえず始めてみようと思って、歌の先生を紹介していただいて声を出したところ、ものすごく高い声で、非常にレアな声質だということがわかりました。そんな希少な声質であれば勝ち目があるかもしれないと思ったのです。これからプロを目指す中で、勝算がある方を取ろうと思って歌に向き合ったという、全くもってロマンチックじゃない始まり方だったんですよ。

やるからにはNo1になりたいという思いが最初からあったのですね。(奥田)

奥田:なるほど。歌との出会いはある意味で偶然なのですね。ピアノで上手くいかないと思ったが、音楽には執着があった。でも音楽で進むからにはそこでナンバーワンになりたい、あるいは世界で有名になりたいという思いが最初からあったのですね。だからその可能性がある歌を選んだ。

田中:そうですね。進むならプロでちゃんと食べていけるようにならないとやる意味がないと思っています。勝算があるかないかというのは、いつも気にしているところではありました。

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ウィーン行きは即断即決でした。難しいと思うことは実は本当は自分のやりたいこと、だから難しい道を選ぶのです(田中)

奥田:ウィーンへ行かれるきっかけは何だったのですか。

田中:歌の道に進むと決めてから半年後くらい、まだ何もやってないような状況の時に、当時指導を受けていた先生から、他の大学生たちと一緒にウィーンへの研修旅行に誘われました。その時、まだ歌が何なのかも分かっていなかった時だったのですが、ウィーンはモーツァルトなど有名な音楽家たちの住処であり、クラシック音楽を目指す人たちが憧れる場所という印象でしたので、何かよくわからないけど、ウィーンには行ってみたいという思い、付いて行ったんです。当時、両親から外泊が許されていませんでしたが、ウィーンだけは「じゃあ行ってきたら」と、すぐ送り出してくれました。ウィーンでは1週間だけ世界中のオペラ座で活躍された宮廷歌手の方に講習をしてもらう機会があったんです。その時に先生が「よかったら今すぐウィーンに来なさい」と仰ってくださったので、じゃあ「行きます」と。これまで一度もウィーンを目指して留学すると思ったことがなかったのですが、もう流されるように、ご縁でポンポンポンと進んだ感じでした。なんとなくのご縁というのか、本当に不思議なご縁で、すっと決まっていきました。

奥田:今、「なんとなくのご縁」と仰いましたが、その決断がなければ、おそらく今の田中彩子さんはいないわけです。すごく大きな決断をされたわけですよね。なかなか普通の人には簡単にできない決断だと思います。なぜ、このような決断ができたのでしょうか。もともとのキャラクターでしょうか?(笑)例えば、18歳くらいで、こういうお誘いを受けたとしても、普通は日本で大学まで行ってから留学するなど無難な道を選ぶ方が多いと思うのです。

田中:私は、選択肢がいくつかあって一つに決めなくてはならない時は、一番難しそうな、無理そうな方を選ぶと決めています。ある選択肢を難しい、無理と感じるのは、本当は自分の中では一番それをしたいからだと思うのです。でも、周りのいろんな状況を考えて無理だなと思ってしまうから難しいと感じる。私は、妥協して別のより無難な選択肢を選んだとしても、本当に気になっていたもう一方の選択肢を一生忘れられない性格なのです。日本に留まって音楽を続けるとしても、たくさん苦労するでしょうし、どのみち苦労するのであれば、ウィーンに行くという一番大変そうな途を選ぼうと。一番難しい方に挑戦してみて、もしダメだったとしたら納得できますしね。

奥田:ウィーンに行かれて、オペラハウスでデビューされるまでの間には、色々な苦労があったと思います。普通に考えると18歳の日本人が一人で行って、なかなかストレートに事が進むとは思わないのですが、どのような努力をされたのか、どのような苦労があったのでしょうか。

田中:外国で、一人で生活することは予想外の困難がたくさんありました。生活する上で日本と環境が全く違うということなど、何も調べていませんでした。コンビニがないとか、スーパーは平日しか開いてないとか、お湯はタンク式でシャワーを浴びていたら水になるとか、コンロはマッチで火をつけるとか、当時は携帯電話やインターネットがないとか。一番慣れなかったのはクレームをきちんと伝えられないと、得られるはずのものも得られないということ。ドイツ語は行ってから勉強しようと思っていたので、まず言語の習得が最初の大きい努力だったかもしれません(笑)

それに加えて初めての歌の訓練でした。歌手は凄く体力を使う職業の一つだと思っています。なぜなら、ずっと腹式呼吸をしているので、スポーツに近いのではと思うほどインナーマッスルが鍛えられます。腹式呼吸をうまくできず、当初は全然筋肉もなかったので、練習している時に何度もふらついてしまったり、意識を失ったこともありました。それぐらい、毎日ヘトヘトでしたが、それでも1年目は新しいことが多くて楽しかったですね。新しい生活にだんだん慣れて、それが日常になった時の3~4年目くらいが一番大変でした。でも、多分どこに行っても大変だったと思います。

ちょっと向こう見ずなくらいの決断力もグローバルに戦ううえでは必要かもしれませんね(奥田)

奥田:劇場デビューされるきっかけは、何だったのですか。

田中:スイスで行われた国際コンクールに初めて出場した際に、審査員の方からスカウトされたことがきっかけです。このコンクールにはお誘いを頂いて出場したのですが、私は受けた誘いは基本的には断らない主義なので、出ることにしました。その審査員の方が劇場の関係者で、コンクールが終わってすぐにスカウトの連絡をいただき、その半年後にデビューが決まりました。知らない番号から急に電話がかかってきて、出たら「劇場でなんとかっていうオペラがあるのですが、出ますか」って言われたんです。その“なんとか”が聞きとれず、何のオペラかわからないけど、誘われたから「やります」って答えたんです。後から来たメールで題目が分かったのですが、やったことはないけれど、やってみようと思いました。

奥田:これはまたすごい決断ですね(笑)。結局、何のオペラだったのですか?

田中:『フィガロの結婚』です。

奥田:ここまでの話の中でもね、この決断力や行動力のすごさというのは、言い方が悪いですが、向こう見ずで楽天的だなあという感じですね(笑)。でもそれが実はグローバルで戦うには必要な要素かもしれない、とだんだん思えてきました。

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平均点では絶対に世界では勝てないと思ったんです。得意なコロラトゥーラを自分なりに尖らそうとすることが、勝ち目があると。(田中)

奥田:劇場デビューをされた後はもうとんとん拍子ですか?

田中:いえ、そんなこともないです。デビューしてから、自分が舞台に立つことで、どれくらいの人が動いて、どんな準備をされているのだろうか、といったことを意識するようになりました。それまでは、ただ自分が自分自身と戦って、プレッシャーに勝って、舞台で綺麗に歌えれば良いという考えでした。しかし、そうではなくて、色々な人たちの準備が成り立った上での舞台だと思うと、また違うプレッシャーもありますし、考え方が少し変わったという部分もあります。その中で、少しずつ自分は何が一番得意なのかとか、何が強みで、外国でやっていくには何を武器にしていけば仕事を安定的にいただけるのかということを考えるようになりました。

奥田:その中で、彩子さんが見つけられたのがコロラトゥーラ(=旋律に細かく速い音符の連なりを用いて装飾を施し、声を転がすように歌う技法)だったんですね?

田中:そうですね。もちろんコロラトゥーラは自分にとっての最強の武器ですが、コロラトゥーラにもいろいろあって、どの様なコロラトゥーラをやるのかが、自分の中で課題でした。日本の教育ではすべての科目で平均点を取らなきゃいけないというようなところがあると思います。ただ、それだと絶対に外国では勝てないと思ったんですよ。
例えば、私からコロラトゥーラを除いたら、秀でているところは何もないわけです。ヨーロッパの音楽界にいたら外国人というだけでマイナスですし、言語も母国語じゃない。さらに見た目も小さいですし、全てがマイナスからのスタートというのはすごく感じていました。それでも、なんとかゼロ地点、他の方々と同じ立ち位置に立つためには、平均点じゃダメなんですね。平均点で勝てる人たちは出発点がゼロ地点の人なので、私のように外国でやっていこうと思っている人は、マイナス地点からのスタートなので、平均点なんて生ぬるいことを言っていたら勝てないと思っています。そこで、自分は何が苦手で、何が得意かというのを書き出したんです。出来ない、苦手というものは、カバーできるようには練習しますけど一旦おいておこうと。苦手なものを平均点に持っていく努力をするよりは、自分が強みだと思う部分をもっと尖らせた方が、勝ち目があると、その時思いました。

世界で戦うにはやはり差別化戦略が必要ということなんですね(奥田)

奥田:すごく興味深いお話ですね。企業や企業人が海外で戦う時にも同じ心構えが必要だと思います。企業経営の世界では、他人や他社とは異なる自分の得意なフィールドを見つけて、そこで戦うことを差別化戦略と言っています。特に後発で参入する企業は他社と同じ商品・サービスで勝負するのではなく、他社がやっていないところや苦手なところで自分の強みを生かして直接競合しない形でシェアを確保するということをやっています。彩子さんはまさにそれを歌という芸術の世界でやっているんですね。
ちなみに私もクラッシック音楽の愛好家ですが、初めて彩子さんの歌を聞いた時に、今までに聞いたことがないコロラトゥーラだという印象を受けました。彩子さんの歌はいつも無理なく自然に耳に入ってきて、心に達するんですよね。しかも高音なのにとっても柔らかい。その裏に彩子さん流の差別化戦略があるということが初めてわかりました。「誰々みたいになりたい」というのではなく自分の持っているものは何か、それで勝負していこう、差別化していこうという想いがあったからこそ、今の田中彩子さんがあるのですね。

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ここまで彩子さんの活動を振り返りながら話を聞いてきたんですけど、その中にすでにグローバルに創造力を働かせて成功するには何が必要かというヒントがあったと思います。一つは「ちょっと向こう見ずなくらいの決断力」、二つ目は「差別化戦略」です。そしてもう一つ、私が重要なポイントとして気づいたのは、「小さいチャンスを絶対に逃さない」ということなんですね。お話の中で、チャンスに対して、取るか取らないかを考えて選択されて、その結果として成功に結びついてる。なんとなくチャンスが来ているのにチャンスだと思わずに終わってしまうみたいなことは、多分絶対しないタイプですよね。小さなチャンスをしっかりと活かしているところも、成功の鍵なのだと思います。

(次回に続く)

聞き手

奥田久栄

株式会社JERA 代表取締役社長 CEO兼COO
奥田久栄

1988年中部電力株式会社入社、2017年グループ経営戦略本部アライアンス推進室長。2019年JERA常務執行役員経営企画本部長に就任後、取締役常務執行役員経営企画本部長、取締役副社長執行役員経営企画本部長を経て2023年4月に代表取締役社長CEO兼COOに就任。

話し手

田中彩子

ソプラノ歌手、Japan MEP / 代表理事
田中彩子

18歳で単身ウィーンに留学。 22歳のとき、スイスベルン州立歌劇場にて同劇場日本人初、且つ最年少でのソリストデビューを飾る。その後ウィーンをはじめロンドン、パリ、ブエノス・アイレス等世界で活躍の場を広げている。「コロラトゥーラソプラノとオーケストラの為の5つのサークルソング」でアルゼンチン最優秀初演賞を受賞。同アルバムは英国BBCクラシック専門音楽誌にて5つ星に評された。
UNESCOやオーストリア政府の後援によりウィーンで開催されている青少年演奏者支援を目的としたSCL国際青少年音楽祭や、アルゼンチン政府が支援し様々な人種や家庭環境で育った青少年に音楽を通して教育を施す目的で設立されたアルゼンチン国立青少年オーケストラとも共演するなど、社会貢献活動にも携わっている。
2019年 Newsweek誌 「世界が尊敬する日本人100」 に選出。2022年10月22日に行われた、日本のプロ野球チームの頂点を決める「SMBC日本シリーズ2022」の開幕セレモニーでは国歌斉唱を務めた。
京都府出身、ウィーン在住。